260 農業用水・水利施設

2013年7月15日 (月)

金野井分水工

今日は、埼玉県吉川市の金野井分水工に行ってきました。

この分水工は、金野井用水路(金野井揚水機場で江戸川から取水された用水)を新用水路、中用水路、元用水路の3つの用水路に分配するものです。

まずは金野井用水路です。手前が上流側で写真中央に見えるスクリーンの辺りが分水工への取水地点です。左側の用水路に平行する道路は埼玉県道19号(越谷野田)線で、その下をくぐって県道左側の分水工に導水されています。

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金野井分水工です。近くにあった案内板によれば、この分水工は1992~2003(平成4~15)年度に行われた利根中央農業水利事業により改築されたものです。案内板によれば、用水が下の写真の内側の円筒を越流していなくても正確に分水されているようです。

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分水先のひとつ、中用水路です。

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これで帰路につくのですが、レイクタウンからも見える以前から気になっていた展望台を確認してきました。少々ビックリです。基本的には月曜日から金曜日に昇れるようです。

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2013年6月30日 (日)

浄法寺円筒分水

今日は群馬県藤岡市(旧多野郡鬼石町)の浄法寺円筒分水に行ってきました。 通常の円筒分水とは異なって円筒の中心から用水がサイホンで吹き上がるのではなく鋳鉄管で上から注水する方式のようです。附近には案内板等は一切なく詳細は不明ですが、特に水源が謎です。

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遠くから見ると、どうにも円筒分水とは見えずらく・・・もなく、近寄ってみると仕切りのコンクリート板があるようにも見えるのですが、一方では構造材のようにも見えなくもなく・・・・実際には円筒の周囲に均等に配置されていないので・・・おそらくは仕切りのコンクリート板なのだと思います。また、天端を補修した直後のようなので、適切に管理されていてのこの姿なのだろうと思います。

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用水の配水はバルブで管理されているようです。流入もサイホンではなく、流出も通常の堰ではなく・・・かなり新しいものなのかも知れません。

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昼食は、埼玉県児玉郡神川町上阿久原の「パニーノガーデン」に行きました。

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建物の東側にはラベンダー畑があります。いい香りがします。ハチがいっぱいいました。

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食事の方は混雑していてしばらく待つようでした。またスタッフの超忙しそうな姿が印象に残りましたが、ゆったりとした気持ちで出かけるのが良いように思います。ピザ美味しかったです。

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帰路にお花や植木を販売している所によってお花を見て帰宅しました。それにしても、良くあることですが知人にバッタリ。世の中はせまいです。

オマケ
チェリーセージ ホットリップスです。

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2013年6月22日 (土)

赤城山

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今日は百名山の一つである赤城山に登ってきました。上の写真は赤城山の大沼(おの)の沼尻(赤城大沼(おおぬま)用水取水口附近)から見た赤城山で標高が最も高い黒檜(くろび)山(左)と駒ヶ岳(右)です。

数日前から台風4号の進路などが気になっていましたが、朝の3時には雨もあがって星空が広がっていて、二度寝してから車に乗って出発。関越道を走ります。最初の目的地は赤城大沼用水の第二円筒分水工です。群馬県道4号(前橋赤城)線の道端にあります。県道4号線はヒルクライムレースの試走なのでしょうかロードバイクの多さには自転車乗りの一人としても驚きます。

第二円筒分水工脇には1999(平成11)年3月に建てられた「隨道改修記念碑」があり、赤城大沼用水の建設(1956(昭和31)年に大沼の水を隧道により導水し白川に合流させた後取水して利用する施設が完成)や改修工事の概略を知ることができます。

この記念碑には「1987(昭和62)年に改修工事に着工し『取水口以南2,226メートルに及ぶ馬蹄型コンクリート暗渠並びに隨道の内部に鋼鉄製直経1.2メートルの円筒水路に改修、半永久的水路として主要付帯施設の改修を完了し』(ママ・原文縦書)」などと刻まれています。また案内板には赤城大沼用水のあらましが記されています。

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地下から吹き上げる用水です。

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続いて700mほど上流にある第一円筒分水工です。こちらの案内板には船津伝次平から始まる赤城大沼用水の歴史が紹介されています。

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その後、大沼からの隧道出口(位置はこちら。ストリートビューでも見られます。)などを見ながら・・・

2013(平成25)年10月19日追記 ----------

隧道出口の写真です。

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上部の銘板には「赤城大沼用水 平成九年三月」と下部の銘板には「天人讃其功 須田惇一書」と記してあり、その下に群馬県章があります。

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追記終了 ----------

このあたりまで来ると押しとなっているローディーも結構いました・・・大沼に到着。おのこ駐車場に車をデポして歩き始めます。涼しさを通り越して半袖では寒いくらいの気温です。

まずは赤城神社にお参りです。朱色の橋を渡ります。橋の上からは猫岩の上あたりからガスがかかって黒檜山の山頂は見えませんでした。

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黒檜山登山口から登り始めます。いきなりのクマザサの中の急登です。

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猫岩手前から見た大沼、その後ろが地蔵岳、そして左端が長七郎山北側のピークです。

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猫岩です。猫岩といってもここに猫の形をした岩はなく、正確にはこの道標のある位置の下に猫岩といわれる岩壁があるという意味のようです。

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岩ゴロゴロの登りが続きます。ブログ情報ではこちらを下りの経路に選ばない方が良い(特に雨のあとは)というのがありましたが、確かにそんな感じです。

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赤城山主峰黒檜山に到着です。頂上には30人くらいの人がいてかなりの混雑でした。

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黒檜山頂上には、三等三角点「黒桧山」標高1,827.57mがあります。ちなみに一等三角点「赤城山」標高1,673.88mは地蔵岳にあります。

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頂上の混雑を避け、更に北に進みます。片品川にかかる関越道の片品川橋の向こうに沼田市街が見えます。この景色を見ながらコンビニおむすびと漬物の昼食にしました。

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もとに戻って山頂を通過し、駒ヶ岳を目指します。御黒檜大神から見た小沼(この)です。

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レンゲツツジと上州の山々です。

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駒ヶ岳からの下りは木製の階段が多いのですが、何か所かある鉄製の階段には驚きました。段数は数えませんでしたが、結構な長さがあります。

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駒ヶ岳登山口からおのこ駐車場に戻って登山を終了しました。それにしても登山者の多い山・・・というのが印象ですが、雲は多かったものの景色も見ることができ、暑くもなく良い山行でした。

その後、車で鳥居峠に上ってみました。鳥居峠から見た覚満淵(かくまんぶち)です。

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こちらは同じく鳥居峠から見た夏の雲です。

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最後に小沼を眺めてから麓に下りて道の駅ふじみ富士見温泉ふれあい館で入浴@500円。泉質はナトリウム・カルシウム塩化物温泉とのことですが、ピリピリ感を感じるくらい”濃い”感じがしました。道の駅では農産物のお土産を購入。帰路につきました。

タイム
おのこ駐車場 ⇒ 25分 ⇒ 黒檜山登山口 ⇒ 1時間20分(適宜休憩) ⇒ 黒檜山(31分昼食休憩) ⇒ 46分 ⇒ 駒ヶ岳 ⇒ 40分 ⇒ おのこ駐車場

2013(平成25)年10月19日追記 ----------

この6月にはあった群馬県馬事公苑交差点脇の初代ぐんまちゃんの大きな看板が撤去され2代目ぐんまちゃんに替わっていました。初代ぐんまちゃんも絶滅危惧種になってしまったようなので本日撮影の群馬県馬事公苑の看板の写真を掲載しておきます。

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追記終了 ----------

※ この記事中の三角点の点名及び標高は国土地理院の基準点成果等閲覧サービスから引用したものです。

2013年6月15日 (土)

長野堰円筒分水堰

今日は、群馬県高崎市の長野堰円筒分水堰を見に行ってきました。

現地の2004(平成16)年3月に長野堰土地改良区が設置した案内板には、「長野堰は、群馬郡榛名町(※現在は高崎市と合併)大字本郷地内の利根川水系烏川より取水する頭首工を起点として、受益面積約1,000ha、取水量最大6.797㎥/S、幹線水路は、頭首工より円筒分水堰まで約8km、かんがい用水として利用される他市街地全域の防火用水、環境美化用水に寄与しています。」と記されています。

長野堰頭首工と円筒分水堰間のサイクリングも考えたのですが、時間もないので車で円筒分水堰のみを見に行くことにしました。

円筒分水堰付近から上流を見た長野堰幹線水路です。

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発泡スチロールの”救命いかだ”に乗った雛鳥です。発泡スチロールはひもで水路の柵に結んであります。

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長野堰円筒分水堰です。

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案内板には、「この円筒分水堰は、1962年に県営幹線水路改修事業の一環として設置された配水施設で、自然落差を利用して、地獄堰、上中居堰、矢中堰、倉賀野堰の4堰に正確に受益配分されるよう設計された、全国でも珍しい分水施設です。かつて水利の乏しい地区では、干ばつのたびに激しい、水争いが起きましたが、円筒分水堰が設置されてからは、争いは落着しました。地獄堰の名は、激しい水争いの名残でしょうか。」と記されています。なお、詳しいことは分かりませんが川からの取水を前提としている地域なので「堰」という言葉は「用水(路)」を示しているのだろうと思います。

下の写真で、最も左側の道路の下に流れて行く水路が地獄堰、その右側が上中居堰、正面が矢中堰、最も右側の草地の向こう側が倉賀野堰になります。面白いのは各堰を分ける仕切りが4か所あるべきなのに2つしかないことです。また上中居堰と矢中堰の仕切りはコンクリートではなく木材です。仕切りがなくても水があふれ出てくる円筒の外側水路部分の傾斜により正確な配水は可能なのかもしれませんが、今まで見た円筒分水堰とは仕組みが異なるようです。

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円筒分水堰の上流左岸側に「極楽用水改良記念碑」がありました。「恐しや地獄の関と思ひしが 悟ればこゝぞ極楽の堰」と刻んであります。かなりユニークな記念碑だと思います。裏面の内容から、篆額碑文の揮毫者は分かるのですが、撰文は技術官の方のようで・・・これは裏面のみかと思われ、表面の「歌」の作者は分かりませんでした。

碑が建立されたのがいつかは分かりませんが、記念碑の趣旨は1934(昭和9)年から1950(昭和25)年までの円筒分水堰設置以前の下流水路の改修(良)記念のように思えます。しかしながら、その一方で円筒分水堰ができたことによって正確な受益配分ができるようになったことを喜んでいるようにも・・・思えなくもありません。

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おみやげに、書店によって”ぐんまちゃんとお散歩 群馬のいいとこ、めっけた”という本を買って帰路に着きましたが、帰りの高速は予報どおりの豪雨でした。これで今年の空梅雨も一段落という感じでしょうか。

2013年4月28日 (日)

菅間堰

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今日は、2年近く前に伊佐沼を訪れたときから行ってみたかった入間川の菅間堰を見てきました。

先日、新聞を読んでいたら、魚の遡上のためなどの目的で菅間堰改修が始まるとの記事。そろそろ見に行かないと現在の菅間堰を見ることができなくなりそうなので、川越での用事のついでに見に行くことにしました。

菅間堰は伊佐沼に入間川の水を取り込むための堰で、農業用水的には「菅間頭首工」が正式名称のようで荒川右岸用排水土地改良区には別に「菅間堰」があるようです。伊佐沼にある看板の地図に記載があります。

菅間堰の全景です。

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菅間堰右岸側から上流を見たところです。上流右側(左岸側)の流れが越辺川、左側(右岸側)の流れが入間川です。釘無橋方向から合流部への背割堤が続いています。

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改修工事が終わったばかりのような伊佐沼代用水側から見た菅間頭首工揚水機場です。

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少々時間があったので童唄「通りゃんせ」の歌詞「ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ」の「細道」が神社の参道といわれる三芳野神社(天神社)に行ってみました。

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最後に、以前に原三角測点の記事で紹介した埼玉県立川越高等学校の「大正元年特別大演習行在所」の碑です。

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良い天気の中のわずかな時間の探訪でした。それにしても川越市内の観光客数はすごい数ですね。

※ 2013(平成25)年4月29日追記 掲載写真の一部を変更しました。

2012年7月 8日 (日)

久地円筒分水

今朝方は雨で、さすがに山登りに出かける気にもならなかったので、以前から訪ねてみようと思っていた川崎市の二ヶ領用水(にかりょうようすい)の久地円筒分水(くじえんとうぶすい)に行ってきました。久地円筒分水は、川崎市?にお住まいの方から以前に教えていただいていて、いつかは行ってみようと思っていた分水です。自宅を車で出発して関越、環八、246、府中街道と走って現地に到着しました。

二ヶ領用水は多摩川の上河原堰及び宿河原堰で取水した水を用水として用いるもので、現地の案内板によれば、徳川家康の命を受けた小泉次太夫が、慶長2(1597)年から東京側の六郷用水とともに工事に着手し、14年の歳月をかけて慶長16(1611)年に完成させた神奈川県最古で最大の農業用水とのことです。また、久地円筒分水は、同様に現地の案内板によれば、昭和16(1941)年、多摩川右岸農業水利改良事務所長であった平賀栄治の設計建設により、水害防止のための新しい平瀬川の開削と二ヶ領用水の伏せ越しともに完成したとのことです。

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久地円筒分水により二ヶ領用水は、根方堀、川崎堀、六ヶ村堀、久地・二子堀の4つの堀に分水されますが、その比率は灌漑面積に応じた、7.415 : 38.471 : 2.702 : 1.675とのことで、円筒分水でなければ、その比によって正確に分水することは困難なように思います。

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埼玉県寄居町用土の比例円筒分水堰と比べて面白いところは、2重になっている円筒の内側の円筒から常に水が噴き出している訳ではないというところでしょうか。確かに上の写真で水は流れていますが内側の円筒は水がたまっているだけで越流はしていません。もしかすると、単に伏せ越しの上流側の水位を内側の円筒の天端以上にすれば水が吹き上がるというだけの話かもしれません。なお、近くで感じた水の臭いですが下水処理場の最終沈澱池ぐらいの臭いはします。いろいろと対策はとっているようですが昭和初期とは大いに違う都市化の状況を感じました。

その後、川崎といえばフロンターレということで、等々力(とどろき)陸上競技場に行ってみました。少年サッカーの試合が行われていました。陸上競技場のある等々力緑地には大きな釣池があるのですが、その池の水は二ヶ領用水の水かと思って調べてみたのですが、池は砂利をとった大きな穴で、池の水は多摩川の伏流水と雨水とのことのようで、ちょっと想像と違いました。

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等々力緑地を後にして府中街道を北上。せっかくですのでフロンターレグッズを売っている「フロンターレローソン」(略して「フローソン」、正確にはローソン高津駅前店)に寄って、飲み物等を補給。さらに北上して生田緑地を目指しました。藤子・F・不二雄ミュージアムがあったり、ドラえもんの市バスが走っていたりと面白いです。

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生田緑地の駐車場に車をとめ、川崎市立日本民家園を訪問しました。この園は川崎市立の野外博物館で、展示物は全国各地から移築した20数軒の民家ですが、建物の中には国指定重要文化財もあり、どの建物もすごいです。丘陵地に巧みにレイアウトされていますが、移築経費や維持経費が心配になってしまいます。写真撮影はNGとのことで、受付の係の方に確認してみると、個人的な写真は撮っても良いが、HPなどに掲載することは許可を得ない限りNGとのことなので看板の写真をアップしておきます。

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生田緑地を後にして「戦車道路」のある都立小山内裏(おやまだいり)公園を目指しました。小山内裏公園は東京都町田市と八王子市に跨る面積約46haの丘陵地の公園です。公園の中の尾根上には「尾根緑道(おねりょくどう)」が走っています。この道がかつて「戦車道路」と呼ばれていた道です。「戦車道路」の由来について現地の看板の内容を引用します。

----- 「戦車道路」の由来 -----
町田市と八王子市のほぼ境界を走るこの尾根の道は、以前は「戦車道路」と呼ばれていました。
それは、この道が第二次世界大戦の末期に、相模原陸軍造兵廠(現在の在日米軍相模原補給廠)で製造・組立てられていた戦車の性能テストと操縦訓練用の道路として造られたからです。
戦後しばらくは、防衛庁が管理していましたが、多摩ニュータウンの整備のため、土砂の運搬道路として舗装され現在に至っています。

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「戦車道路」が舗装もされていなかった頃、何度も訪れたことがあり、周辺を含めてのあまりの景色の変わりようにビックリするやら驚くやらでしたが、懐かしかったです。公園内の往復3,180mを歩き、最後に鑓水小山給水所の近くから夕焼けを眺めました。

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なお、当方の聞き取り調査では、小山内裏公園の「内裏」の由来は、江戸末期に京の内裏から来た能楽師がこの地に住み着いたことに由来するのだそうです。

今日は、以前から行きたかった久地円筒分水にも行け、30年以上ぶりに訪れた「戦車道路」も非常に懐かしかったです。

※ この記事はコメントの内容を参考にするなどして加筆修正したものです。

2011年7月18日 (月)

1週間経過

この3連休は暑かった。断続的に仕事が入っていて余裕もなく、加えて余りの暑さに自転車には乗らず。

さて、今日は水の出ていない寄居町大字用土の比例円筒分水堰を訪問してから1週間が経過し、もしかすると水が出ているかもしれないのでリベンジしてみることにした。

まずは昼食。時々ブログでお見かけするお店で、食数限定の「玄米と野菜の日替わりランチ」@1,050円を食べる。ランチの飲み物として選べるカモミール&ラベンダーのハーブティーを飲んでみた。当方にとっては慣れていないメニューではあったが美味しかった。

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探訪モードで進む。何年間か継続して訪れている「フセギ」の場所なのであるが初めてワラジが吊るしてあるのを見た。ワラジとしては並みの大きさである。

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続いて用土村道路元標である。今まで何度も自転車で通過したことがある場所なのであるが、道路元標の存在に気付いたのは今日が初めてであった。

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いよいよ比例円筒分水堰近くに到着。歩いて行く。

むむっ? 水の音が聞こえるぜ w(゚o゚)w 歩くスピードが速くなる。

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水が「噴き」あがるというのが妥当な表現。やったぜリベンジ。

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今日は月曜日。テレビ番組の夜8時の定番であった水戸黄門も第43部の今シリーズで打ち切りが決定してしまったようであるが、時間帯が同じNHKの「大科学実験」という番組も超面白そう。

2011年7月10日 (日)

比例円筒分水堰

昨日7月9日、関東地方の梅雨が明けた。雲のない夜空を見上げると大三角形が見えて、いよいよ夏が来た感じがした。空気の澄んだ涼しい高原などで夜空を見上げたらよりクッキリとキレイに見えそうである。

一方、梅雨明けと聞いただけで昼間の暑さも余計に暑く感じるから不思議なものである。ちなみに今日の寄居アメダスの最高気温は36.4度である。

さて、寄居町大字用土の比例円筒分水堰は、北武蔵用水の施設の一つとして本年(2011(平成23)年)2月4日にロードバイクで探訪した。当日の記事はこちら。そのときから、通水されているときに訪れてみたいと思っていたのだが、昨日のtomochanさんのブログ記事に分水堰から用水が湧き?出している写真が掲載されていたので、急遽、買物を兼ねて見にいくことにした。ということで車である。

途中、牛乳のタンクローリーに映った雲がいかにも夏を感じさせる(撮影は助手席から)。

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確かに雲が夏らしい。

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順調に比例円筒分水堰に到着。

ガッガッ~~ン ○| ̄|_ 1日遅かったようである。

中央部の水の湧き出す円筒部分が水に洗われてきれいになっているのが何とも言えず。

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気分を変えて寄り道。花はきれいに咲いているしパンも美味しそうである。

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さてさて、買物の目的は扇風機だったのだが、どこに行っても気に入ったのがないというか、ほとんど売り切れ状態で、あきらめて帰宅 orz

その翌週の水が噴き上げている光景はこちらの記事でどうぞ。

2011年7月 3日 (日)

少し早すぎた

今日は用事のついでに伊佐沼に寄ってみた。昨年もこの頃に行ったのであったが、昨年と同様、古代蓮の花はほとんど咲いていなかった。少し早すぎた。

ところで、昨年は気付かなかった荒川右岸用排水土地改良区の「伊佐沼と農業用水」という案内板が設置されていた。その案内板には「伊佐沼(いさぬま)は、今から600年程前に農業用水の溜池(ためいけ)として誕生しました。現在の伊佐沼は、入間川の水を菅間(すがま)頭首工から取水して、伊佐沼代用水路を通って伊佐沼に流れ込んでいます。」と記してあった。いつか自転車に乗って菅間頭首工を確認してみたいものである。とは言っても、入間川の右岸堤防上を何度も走っているので、その脇を通過したことは何度もあるはずである。

なお、伊佐沼の北西端にある1982(昭和57)年3月に設置された川越市の案内板には「伊佐沼がいつ頃できたかは不明だが、入間川の流路が移動し、その跡にできた沼ではないかといわれている。」と記されていた。

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沼の水面を見ていたら、ひな鳥が2羽、蓮の葉の上で遊んでいた。何となく危うさを感じるのだがユーモラスであった。

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そして、伊佐沼北側の農業ふれあいセンターにあったラベンダーをパチリ。タイムと同様シソ科の植物のようである。ラベンダーには梅雨の晴れ間の強い日差しのイメージがある。

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さて、まったく関係のない話だが、本年6月29日に秩父市が「大滝村誌」の販売を、本編2冊と写真集1冊の3冊セット6,500円(セットでなくても購入可)で開始したようである。一昨年、武州中津川森林鉄道や有料道路であった中津川林道について調べているときに、『大滝村史』の発行を心待ちにしていたので、ぜひとも読んでみたいものである。

2011年2月13日 (日)

大里用水

今日は大里(おおさと)用水を探訪してきた。自転車はMTBである。大里用水は荒川の水を取水して利用する用水である。

都幾川に架かる学校橋を渡る。桜並木がだんだん大きくなってきた。奥武蔵、いや外秩父の峰々の雪も昨日に比べると薄くなっている。

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嵐山町を北上し、寄居町をかすめて深谷市(旧川本町)に入る。このブログでも何度か登場している埼玉県指定史跡鹿島古墳群に到着。

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大里用水において、かつて左岸幹線導水路から荒川の下をくぐって右岸幹線導水路に用水を送っていた江南サイホンの吐出口(はきだしぐち)跡である。場所は、鹿島古墳群から白鳥飛来地に降り始める地点の西側である。平成16年までは江南サイホンが利用されていたようであるが、もう10年以上も前に勢いよく水が出てくる様子を見たことがある。上から見ていても怖い感じがするくらいであった。

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白鳥飛来地である。餌付けを中止したためか以前と比べると白鳥が非常に少ない。常駐している方々のお話では周辺各地に分散しているとのこと。白鳥は川の中に餌がないためか、それとも効率が良いのか、そして安全と思っているのか水から上がり河川敷で草を食べている。白鳥の向こうには遠く御荷鉾山や赤久縄山が見える。

常駐している方々の話では水辺の鳥はくちばし先端の形状を見ると何を食べるかがわかるとのことだった。

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下の写真の左上は右岸幹線導水路の暗渠部分。それ以外は暗渠が開渠となる部分の写真である。これらの部分は農林水産省の直轄管理のようである。農林水産省の境界杭は初めて見たような気がする。

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押切橋を左岸側に渡る。風が非常に冷たい。雪をいただいた山々が良く見える。

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左岸幹線導水路が奈良堰幹線用水路、玉井堰幹線用水路、大里幹線用水路(国土地理院の2.5万図では「大麻生用水」)の3つの幹線用水路に分岐する堰である。なお、遠くに見えるのは熊谷特別支援学校である。

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江南サイホンの跡地である。今は撤去され落差工や魚道ができている。江南サイホンの機能の代替は六堰が果たしているとのことであるが六堰の外見上は分からなかった。

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江南サイホンの呑口(のみぐち)跡である。

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左岸幹線導水路とその沈砂池である。

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山間の沈砂池とは規模が違った。さすがに埼玉の大河荒川から取水している大規模用水だけのことはある。

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左岸幹線道水路の沈砂池附近で撮影した写真である。左上は几号水準点のように「不」という記号が刻まれている水準点である。当ブログとリンクさせていただいている「きまぐ旅写真館」の記事によれば内務省が1930(昭和5)年に荒川沿いに設置したものの一つのようである。その他の写真からは当時の設計者の美的センスというか、そのようなものを感じ取ることができる。

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六堰(ろくぜき)頭首工※に到着。埼玉県のHPによると、平成10年度から平成14年度までの5年間をかけて農林水産省関東農政局大里農地防災事業所が整備し、平成15年4月1日から埼玉県が管理を開始した堰である。

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下の写真の左上は大里用水の案内板。非常に参考になる記載がある。反対側には「国営農地総合防災事業竣工記念之碑」があり、こちらにも非常に参考になる記載がある。
右上は1939(昭和14)年に完成した旧六堰頭首工の幅12.6mのローリングゲート。案内板の説明によると、その利用目的は秩父の材木筏が堰を通るためであり、回転しながらこのローリングーゲートが上がったり下がったりして堰を開閉したようである。
左下は管理棟。右下は旧六堰の魚道の説明板。笑えない話なのだが表現が面白い。

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六堰の上を走る埼玉県道296号(菅谷寄居)線。重忠橋。

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最後に、先日の探訪でリベンジとなっていた荒川中部土地改良区の玉淀ダムからの導水幹線(導水幹線は国営用水路)の暗渠から開渠に変る部分である。水門などはない。もしかするとカニ沢制水門は更に下流なのかもしれない。再々リベンジが必要みたいである。なお、隧道の出口には「豊水潤萬物」と刻まれている。

お腹がすいたので旧国道140号線沿いの「そば処 儀平」で昼食。かつ丼セット@1,000円を食べる。今日の探訪先から消費カロリーの方が少ないと言われそうである。

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最後に道中で、初めて見た石造物の一部。邪鬼を踏みつけ下には三猿。どうみても石仏自体は馬頭観音のようにも見えるのだが・・・調べてみると庚申塔で、青面金剛(しょうめんこんごう)、邪鬼、三猿の組合せは良くあるものらしい。

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探訪甲斐のある用水であった。

※ 2011年2月14日追記
大里用水の案内板の「頭首工」の解説
頭首工とは、農業用水を河川から用水路に引き入れるための施設で、一般的には、取水を調節するための取水堰、取り入れ口、付帯施設及び管理施設から構成されています。
頭首工という用語は、明治以来用いられており、用水路の頭首部に設けられている水門、堰き堤(せきつつみ)等の施設の総称です。

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