260大山燈籠

2010/03/22

大山阿夫利神社

今日は、お彼岸中ではあるが相州大山阿夫利神社(下社)を参拝してきた。

車で出発。国道16号バイパスを渋滞に巻き込まれながら進む。更に129号、246号、及び神奈川県道を走る。予想をはるかに超える時間がかかってしまった。写真は神奈川県道603号線、玉川球場入口交差点北側から見た大山(標高1,252m)である。

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車を駐車場@600円に停め、山麓のケーブルカー駅を目指す。かなりの階段数であるが、道の両脇に土産物店などが連なっているので飽きない。

ケーブルカーに乗る。大山阿夫利神社(下社)往復で850円である。所要時間は片道6分である。大山の山頂にある本社には、下社から歩いて1時間30分の所要時間とのこと。

下の写真は下社からの平塚市及び相模湾方面の眺めである。相模川なども確認できる。江ノ島や三浦半島も見えた。

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下社右手にある権田直助の像である。像の下の碑文は「天地の道に反けるもの道といふべきものに非ざるべし」との書き出しで始まっており、1809(文化6)年に現在の埼玉県入間郡毛呂山町に生まれた平田篤胤直系の者であること等が記されている。

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下社前から鳥居とその向こうに見える風景である。

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おみくじを引いてみた。過去に引いたことのないおみくじを引いた。恐いくらいである。大山燈籠を廻ったりしたのが良かったのだろうか。唯一心配なことといえば、おみくじで運を使い果たしてしまったのではないか・・・ということである。

とにかく単純に出来ているので、心も軽くケーブルカーに乗り山を下りる。

ということで、参拝も無事終了したので、お店に寄って大山名物の豆腐を食べてみることにする。湯豆腐@735円である。単品の湯豆腐は、注文するとき割高感があったが食べてみると相当の量であった。面白いのは燃料で液体のアルコールそのものである。

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そして最後に煎餅である。観光地に行くと@100円ぐらいで売っているが、これは@250円で、焼き立てで熱いし、あまりの大きさに食べるのが大変であった。

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大山阿夫利神社に参拝してみて、改めて長い歴史を感じた。

2009/08/30

燈籠めぐりその4

本日も、慌ただしい1日であった。

情報をいただいたので、細切れの時間をぬって越生方面へ。越生梅林の北側である。

燈籠の存在自体は以前から知っていたが、夏にはこのようになっているとは思わなかった。火口は他の多くの燈籠と同様に日と月。灯明は蝋燭であった。

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昭和3年に建てられたもののようであるが、由来来歴の詳細は、刻まれた文字が不鮮明で不明である。

越生町内を注意深く走ってみると相当数の石燈籠があるように思う。きっと、郷土史家の方々や行政サイドで調査がなされているに違いない。

※ 本日の移動手段は車である。

2009/08/22

燈籠めぐりその3

今日は、仕事の合間をぬって、いただいた情報に基づいて燈籠めぐりその3を実施。

その前に、ときがわ町西平の「やすらぎの家」へ。何度も、何度も、自転車で前を通過したことはあるのだが、ついぞ寄ったことはなかった。中に入ってビックリ。いわゆる田の字の8畳間(合計32畳)の典型的な埼玉県西部の農家建築である。

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檜などの無垢板のちゃぶだいが並ぶ。お客さんを数えたところ48人。その内ローディーが15人くらいだろうか。うどんを作る側のおばちゃん?・・・は総勢何人だろう? 5~6人だろうか。うどんを踏む方、麺棒で伸ばす方、天ぷらを揚げる方等々、とにかく「マルチタスク」で大忙しで大活躍の皆様であった。

お客の方は「うどん」が出てくるまで相当の時間待たされるのだが、待っている側は、まったりと時間が過ぎているようで・・・のんびりとしたものである。通常の行列のできるお店ならイライラ感が伝わって来るところだが、やはり、建物のかもし出す雰囲気とおばちゃん?の忙しそうな様子を身近に感じると、静かに待つ雰囲気が共通理解となるようだ。

待つこと、ウン十分。冷汁うどんの大盛@800円+100円である。美味しい! うまい。うま過ぎる。←ちょっとローカル(^^; 実は野菜天ぷら@300円も食べたのだが、これも美味しい!
味覚は人それぞれだろうが、少なくとも、当方の生育環境にはピッタリと符合している。これなら二人前は楽勝で食べられる・・・(^^)

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さて、燈籠めぐりその3に出発。小川町大字下里地内に燈籠があるとの情報を得たので確認に行く。しかし、この燈籠、2009(平成21)年7月24日に確認した燈籠のわずか170m南。実物は情報とは違っていたが、「雨降山」の石燈籠である。火口は太陽と月であった。

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今日も、細切れの時間を過ごしたなあ。明日は・・・どうなるか。大弛にでも再び行ってみたいところではあるが、体力的に不可能な感じがする・・・・・orz

このブログを書いている側のNHKテレビでは「こまどり姉妹」が歌っている。あまりに懐かし過ぎて感激してしまった・・・・・・・・・orz

※ 本日の移動手段は車である。

2009/08/19

燈籠めぐりその2

今日は、ひょんなことから午後の仕事が早めに終わり、加えて、予定があった夕刻の時間帯も空いてしまった。良いことなのか微妙だが、考えようによってはラッキーである。

そこで、嵐山町(埼玉県比企郡)に燈籠があるという情報をいただいたので見に行ってきた。場所は、嵐山町の大字将軍沢地内である。

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良くしたもので「この燈籠の由来をご存知ですか?」と、先方から当方に話しかけてくれた初老の方が現れる。明らかに当方よりは先輩の方である。そのお話を要約すると、

燈籠は大山阿夫利神社のもので、地域の各戸が輪番で灯明を灯す。灯す期間は夏の間の1か月以上。この木製の燈籠は10年ほど前に新調し、灯明は石油ランプ。夏場以外は雨風を避けるため、しかるべき場所にしまっておく。

「お金があれば・・・石で造るのだが・・・」とのことで、比企郡市内の燈籠にもお詳しく、東松山市内では電灯の入る大山阿夫利神社の燈籠があるとか・・・、別の地域では、大山阿夫利神社の燈籠ではない燈籠があるとか・・・。

世の中、詳しい方は詳しい m(_ _)m

将軍沢という地名に興味があったので、それらしき場所に移動してパチリ。

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当方、あまりウンチクはないが、将軍といっても徳川家や足利家ではなく「旭将軍義仲」なのでは・・・などと勝手に憶測する。将軍沢には鎌倉街道上道(かみつみち)の遺構もあるし、嵐山町及びその近隣では木曾義仲に関わる多くの伝承もあるようであり、そう思うと夢がひろがる。しかしながら、実際のところ「将軍沢」の地名の「将軍」とは、ネット検索の結果では「坂上田村麻呂」のようである。

ところで「旭将軍義仲」は「信濃の国(長野県歌)」の一節に登場する。当方のブログの名称「四方の山々」は、「信濃の国」の一節「四方に聳ゆる山々は」にヒントを得て名付けたものである。

※ 本日の移動手段は車である。

2009/07/23

燈籠めぐり

夏と言えば、お盆様である。盆踊りとか花火とか・・・地域に密着した行事も多い。盆の時期は様々で、7月13日~15日、23日~25日、8月13日~15日が、埼玉県西部では一般的なところだろうか。

自転車で走っていると、お墓の花の量や線香の香りで、その地域の盆の時期が分かる。

脚は錆付いてはいないが、昨年の今頃と比べると、比較すべくもない状況にある。今日は、メタボ健診(結果は当然NG)を受けたのち、所用もあったので、そして空模様もイマイチなので車で出発。自転車で走った記憶を辿り、燈籠めぐりをすることにした。

まずは、埼玉県比企郡鳩山町大字大豆戸(まめど)地内である。かつて、『比企丘陵探訪 』で出かけたときに確認した『燈臺』を確認するためである。推測するところ、お盆の季節に、燈籠に灯がはいるはずであるからだ。何とも言えない風情である。幣束が落ちているので設置してから、しばらく時間が経過していることが分かる。燈臺の銘から大山阿夫利神社の燈籠と判断できる。

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しばらく進んで、ときがわ町大字田黒地内の燈籠である。こちらは竹が2本ではあるが幣束もついている。近くを歩いていたかなり高齢のおばあちゃんに聞いてみると、集落の全戸が輪番で燈籠を灯すとのこと。大山阿夫利神社の燈籠であるかどうかは、聞いては見たが、結果として分からなかった。

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再びしばらく進んで、嵐山町大字遠山地内。この燈籠は見当がつかない。近くに人もいなかったので、写真のみ。

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三度(みたび)、しばらく進んで、小川町大字下里市内。この燈籠は分かりやすい。火口を見て思わずニヤッとしてしまった。かなりユーモラスな大山阿夫利神社の燈籠である。

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ここまで来たので、自転車乗りさんのブログに登場するアイガモ君を見て行くことにする。一生懸命田圃で仕事をしていたが、近づくと大勢集まってきた。しばらくすると一部を残して解散?

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またまた、しばらく進んで、同じく小川町大字下里地内。燈籠には、「雨降山 當所講中」と刻んであった。雨降山はどこかということになるが、雨降山大山寺(あぶりさん おおやまでら)と考えるのが妥当だと思う。結局は、大山阿夫利神社の燈籠と同体ということか。

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今度は、「のこのこ」方面へ。小川町大字伊勢原地内である。季節はずれ?の割と新しい大草鞋(おおわらじ)である。この季節では2か月遅れ?くらいだろうか。御札は、以前に嵐山町で確認したものと同じものであった。

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最後に訪れたのが小川町大字高谷(こうや)地内。風が強くて幣束が横になびいている。近くで犬の散歩をしていた中年のおやじさん?(当方と同年配の風情)に聞いてみると、やはり集落の全戸が輪番で燈籠を灯すとのこと。が、大山阿夫利神社の燈籠であるかどうかは、知らないとのこと。

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私が、自転車で走っていて見たことがある比企郡内の記憶に残る主な燈籠は以上ですべてである。その他には、入間郡毛呂山町内及び日高市内で見たことがある。中でも、毛呂山町の燈籠は木製で大きなものであった。今日、見たものは、石製か金属製であり、稼動しているものはすべて金属製という感じである。屋外に設置して雨風に当たるものであり、また、火災の可能性も考えると金属製になるのであろうか。

----- 以下2009(平成21)年7月25日追記 -----

入間郡毛呂山町大字長瀬地内の大山阿夫利神社の燈籠は下の写真のものである。木製の立派なものであり、やはり集落の全戸が輪番で燈籠を灯すとのことである。

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日高市大字森戸新田地内で見たことがある燈籠は、本日(2009(平成21)年7月25日)、現地に出向いてみたが、確認できなかった。

2009/04/26

比企丘陵探訪

昨日は終日冷たい雨であった。ブルベに参加された方の、寒さと戦う速報ブログを読んでいると、昨年参加したAttack!299が夏の暑い盛りに開催される理由が良く分かる。

今日は、打って変わって暑いくらいの、そして日焼け止めクリームが必要のような良い天気である。体力低下を実感しつつも、時間を作ってポタリングに出発。今日は比企丘陵探訪である。

まずは鳩山町。道の傍に「阿夫利神社燈臺」を発見。相州大山阿夫利神社の御神燈を燈すための燈籠の台と思われる。憶測すれば、夏になって地域の各戸が輪番で燈籠に火をともすのかもしれない。講自体があるのかどうかもわからないが、比企地方にも大山阿夫利神社の御神燈は結構あるのだろうか?

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北に進む。耕地整理がなされた田圃(現在の作物は裏作の小麦)の向こうに堂平山と笠山が見える。以前、ある方のブログでも取り上げられていたが、手前の送電線の鉄塔はJR東日本のものである。看板には往年の新幹線ひかり号が描いてあったりする。「岡-前##」などと番号が付してあり、岡部変電所と前久保開閉所の間の鉄塔であることを意味しているらしい。

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更に北進。嵐山町を抜け滑川町へ。ふせぎ?の大草鞋(おおわらじ)発見。柊(ひいらぎ)の葉まで刺してある立派なものである。これなら、いかにも疫病神も退散しそうな万全の構えである。

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今度は西へ進み嵐山町へ。こちらには3柱の神様が記された御札があった。

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別の場所へ。こちらには新編武蔵風土記稿にも登場するお寺の御札があったが、原形をとどめておらず残念。

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北に進む。この辺まで来ると笠山の見え方が変わってくる。あんまり笠っぽくなくなって、また、七重峠が見えずに笠山峠が見える・・・という表現が妥当だろうか。

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お腹がすいたので、一路「のこのこ」を目指す。ランチ@750円を注文。ピザもスパゲティも美味しい。本日は開店3周年で、なぜか手打ちうどん(おわん1杯)サービスであった。こちらも美味しかった。

その後、小川町市街を抜けて東秩父村方面へ神送りの大草鞋を見に・・・と書きたいところなのだが、元気なく踵を返すことに・・・。下の写真は仙元山の麓の瑞龍山西光寺である。あまりにツツジが綺麗だったので吸い寄せられてしまった。お賽銭を入れて本堂にお参り。

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最後に、休校中の分校に到着。良い風情である。校舎の中からオルガンの伴奏で唱歌の歌声が聞こえてきそうな雰囲気である。

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新緑を感じながら、適当に寄り道しながら帰路についた。

今日は、杉山城址、越畑城址、四津山城址、小倉城址なども遠望し、さながら比企丘陵民俗・歴史散歩という感じだった。