210 奥武蔵林道

2012年1月14日 (土)

奥武蔵林道その2

今回の奥武蔵林道に関する記事は、都幾川村「都幾川村史 通史編」(2001(平成13)年)の「奥武蔵グリーンライン」に関する記述についてである。

「戦後、荒廃した森林を復興し、治山治水のため緑化運動が活発に行われた。反面林業労働力の確保、森林資源の有効な利用のため林道の整備は緊要な問題となった。大野峠や白石峠などを結ぶ奥武蔵高原への本格的な道路建設は、明治期からの念願であった。関係市町村により昭和42年(1967)に奥武蔵林道開設期成同盟会が結成され、奥武蔵林道の早期開設促進が求められた。この林道は広域的な幹線林道であり、(中略)43年5月奥武蔵グリーンラインとして完成し、5月10日刈場坂(かりばさか)峠で栗原埼玉県知事を始め多数の来賓を迎えて盛大な完成式が催された。グリーンラインは定峰峠、白石峠、高篠峠、大野峠、刈場坂峠、飯盛峠を落葉樹やクマザサのなか奥武蔵の稜線を結ぶもので、極めて眺望も良く、浅間、谷川、日光、筑波の山々が遠くに浮び、関東平野を一望に見下ろすことができるものであった。この林道は白石峠で県道大野-東松山線と接続し、第二開拓から刈場坂峠の林道で結ばれている。特に第二開拓からの道路はこのグリーンラインと共に新しく開設された道路である。その後44年には橋倉橋とグリーンラインを高篠峠で結ぶ林道大野峠線が、45年(※)には刈場坂峠から檥(ぶな)峠、高山を経て顔振峠から飯能市を結ぶ工事が着工された。」

「第二開拓から刈場坂峠の林道」とは奥武蔵支線のことである。

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次に「極めて眺望も良く」と記されていることについては、かつて奥武蔵高原は秣場であり、また引用した本文と一緒に掲載されている飯盛峠からの眺望の写真を見ると、その眺望の良さは、現在の状況からは想像だにできないものである。

なお、現在の大野峠線のうち高篠峠から301mの区間については、埼玉県により昭和41年度に、現在の奥武蔵1号線のうち白石峠から高篠峠の区間と同時に開設され、1982(昭和57)年に都幾川村管理の大野峠線へ編入されたものである。(都幾川村「都幾川村史資料 5-4 近・現代編」(1996(平成8)年))

※ 埼玉県「埼玉県行政史 第4巻」(1988(昭和63)年)では、この区間について昭和44年度から昭和46年度に開設されたと記されている。昭和45年1月から3月の間に着工されたと考えれば矛盾はない。

2012年1月 8日 (日)

奥武蔵林道その1

今回の奥武蔵林道に関する記事は、埼玉県「埼玉県行政史 第4巻」(1988(昭和63)年)での「奥武蔵林道」の記述である。

埼玉県行政史 第4巻には、第1章 高度成長と開発行政の本格化 第3節 高度成長と農政の転換の中に「奥武蔵林道の開通」の項がある。その中から引用すると、
「本県の大規模な多目的林道としては、奥武蔵林道の開設があるが、この林道の第1期工事は昭和40年度に着工し、42年度に竣工したもので、飯能市の子の神戸(国道299号線)を起点として苅場坂峠、大野峠(標高853メートル)、白石峠を経て定峰峠に至る延長14キロメートル、総工事費2億4,000万円であった。このうち、昭和41年度分の延長1.8キロメートルは、農林漁業揮発油税の身替り措置として昭和40年度に創設された略称「農免林道」である。これは峠を越えて他の林道と接続することができることから峰越林道ともいわれた。
奥武蔵林道は、これまでこの地域に開設された各路線を結ぶことによって、林業生産団地の広域化、集団化、組織化による生産性の向上を図り、併せて森林レクリエーション機能の効果も発揮させようとするものであった。これは昭和48年度に国が定めた広域基幹林道に先駆けて実施したもので画期的な林道であった。なお、第2期工事は、昭和44年度から46年度に苅場坂峠から顔振峠まで延長13キロメートルを開設し、さらに、第3期工事は46年度から着工した。」と記されている。

当方が図書館で閲覧した資料※から奥武蔵林道に関する事柄をまとめると次のようになる。

昭和38~40年度施工 奈田良線(定峰峠~白石峠) 2,740m

昭和40~42年度施工 苅場坂線(子の神戸~刈場坂峠)5,620m

昭和41~42年度施工 奥武蔵1号線(白石峠~刈場坂峠) 5,424m

昭和42年度施工 奥武蔵支線(刈場坂峠付近~舟の沢) 1,270m

昭和43年5月10日 奥武蔵林道竣工式(刈場坂峠 栗原浩知事出席)

昭和44~46年度施工 奥武蔵2号線(風影~刈場坂峠) 11,768m

昭和46~不詳年度施工 権現堂線(中野線分岐~風影) 8,081m

昭和49年5月30日 奥武蔵林道完工式(刈場坂峠 畑和知事出席)

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写真は「広報はんのう」1974(昭和49)年7月1日(第551)号より引用。

※ 埼玉県「埼玉県行政史 第4巻」(1988(昭和63)年)
   埼玉県農林部森づくり課「森林・林業と統計 平成20年度版」(2008(平成20)年)
   寄居林業事務所「寄居林業事務所30年のあゆみ」(1987(昭和62)年)

2012年1月 7日 (土)

奥武蔵グリーンラインの歴史

以前「奥武蔵グリーンライン」の名称の由来や範囲について調べたことがあり、その結果をこのブログ上に掲載していたのだが、その後の経緯を踏まえ、今回改めてカテゴリー「210奥武蔵林道」として整理し直すこととした。

現在、奥武蔵グリーンラインという名称は広く用いられてはいるものの、その範囲のとらえかたは様々である。この記事では、一つの試みとして奥武蔵グリーンラインの範囲を資料に基づいて探ってみたいと思う。

最初に取り上げる資料は、埼玉県「埼玉県総合振興計画」(1963(昭和38)年)である。この計画には観光開発道路としての「奥武蔵グリーンラインコース」が位置づけられている。

この計画での奥武蔵グリーンラインの位置づけは、飯能と秩父を結ぶ国道299号線(歴史的な意味での「吾野道」)の枝線的観光開発道路であり、第1次計画(計画年度は1962(昭和37)年度から1970(昭和45)年度)で、下図のとおり「正丸峠-刈場坂峠-大野峠-丸山-堂平山-定峰峠 総延長20km 幅員4.5m」を整備することとしている。

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路線図を見ると、第1次計画には、林道苅場坂線、林道奥武蔵1号線、林道奈田良線、大野峠から丸山までの丸山林道の一部、白石峠から堂平山に向かう林道堂平山線、白石峠から大野に至る県道大野東松山(172号)線の一部が含まれている。

この内、路線としてのつながりや、次に取り上げる新聞記事の内容等から考えて「奥武蔵グリーンライン」と呼ぶに相応しい路線は、苅場坂線、奥武蔵1号線、奈田良線の3路線、延長13,784mである。

昭和38~40年度施工 奈田良線(定峰峠~白石峠) 2,740m

昭和40~42年度施工 苅場坂線(子の神戸~刈場坂峠) 5,620m

昭和41~42年度施工 奥武蔵1号線(白石峠~刈場坂峠) 5,424m

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次に資料として取り上げるのは、1968(昭和43)年5月9日付け埼玉新聞(1頁)の「奥武蔵林道 明日待望の完成式 観光開発へ第一歩 “グリーンライン”の布石に」という見出しの記事である。

この記事のリードには「さる38年度から建設を進めていた奥武蔵林道(飯能市子の神戸~東秩父村定峰峠17.625キロ)のしゅん工式が、あす10日午前11時から、苅場坂峠(飯能市・都幾川村)で行われる運びとなった。(中略)同林道は、奥武蔵グリーンライン(仮称)として、将来、観光道路に生まれ変わる”布石”として誕生したもので、無限の夢を秘めている。」と記されている。(延長は、当方が用いた埼玉県の資料※と異なる。)

また、この記事の本文には「観光ルートの開発構想として、県総合振興計画にもあげられている奥武蔵グリーン・ラインも、実はこれらの林道と既設道路等を利用するもの。長瀞付近から釜伏峠をへて、定峰峠に至るAコース、正丸峠から定峰峠に至るBコース、正丸峠から鎌北湖に至るCコースと合わせたルートである。Bコースは、すでに林道ができ上がっており、Cコースは奥武蔵林道の第二期工事に当たる部分で、Aコースが課題として残されている。観光道路建設となると主管は県企業局となるが、同局では、Aコース部分の基本設計の調査を本年度に実施したい意向を持っていたが、これは林道ではなく、本格的観光道路の建設となると、29億円の巨費を要し、基本設計の調査だけでも、1千万円の単位の調査費も要するなどといった理由で、予算化は見送られた。さらに、これまでにでき上がった奥武蔵林道を観光ルートのグリーン・ラインとして衣替えするには、なお、諸々の条件があって、はっきり煮詰まっている段階ではない。」と記されている。

これら2つの資料に加え、その後の奥武蔵グリーンラインに関する計画等が見当たらないことを考え合わせると、奥武蔵グリーンラインの範囲が曖昧となってしまった理由が分かる。

とはいえ、現実的な解釈としては「奥武蔵グリーンライン」とは県営奥武蔵林道のことであり、整備順に奈田良線、苅場坂線、奥武蔵1号線、林道奥武蔵2号線(11,768m)、林道権現堂線(8,081m)の5路線(合計33,633m)を指すと考えるのが妥当なのではないかと思う。

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※ 農林部森づくり課「森林・林業と統計 平成20年度版」(2008(平成20)年)
   寄居林業事務所「寄居林業事務所30年のあゆみ」(1987(昭和62)年)