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2014年11月 2日 (日)

刈場坂峠(苅場坂峠)その4

土地台帳・登記簿・公図

この記事では、主に『武蔵国郡村誌』に登場する「字苅場(坂)」の土地台帳、登記簿及び公図での表記に刈場坂、蒲阪及び蒲坂などの表記のゆれがないかどうかに関する調査について記します。

まず土地台帳、登記簿及び公図に関する基礎的な知識です。明治期の地租改正事業の手段として地券制度が考案されました。地券は土地の所有権を証明し、併せて地租を把握するためのものでしたが、所有権の証明については1886年の登記法の制定(明治19年8月11日法律第1号)により、地租の把握については1889年の土地台帳規則の制定(明治22年3月22日勅令第39号)によりその意義を失い、明治22年3月22日法律第13号により廃止されました。ちなみに登記法の施行は明治20年2月1日、土地台帳規則の施行は明治22年4月1日です。また公図は土地台帳の附属地図です。※1

字「苅場(坂)」のあった北川村は1889(明治22)年4月1日に坂石町分、並びに坂石村、坂元村、南川村、南村及び高山村の5村と合併して、秩父郡吾野村となっています。その後、1921(大正10)年7月1日に郡域の変更が行われて秩父郡から入間郡に編入されています。※2 なお、『武蔵国郡村誌』に記された「北川村字苅場(坂)」は合併を経て「吾野村大字北川字苅場坂」と表記が変わり、旧村名が大字に、旧字名が小字となりました。さらにその後の合併により現在の表記は「飯能市大字北川字苅場坂」となっています。

まずは飯能市役所での調査結果です。公図については和紙に墨痕鮮やかに苅場坂と記されていました。土地台帳については電算化されており、従来の紙のものはマイクロフィルム化されていて一般には閲覧できないとのことでしたので諦めました。しかし、飯能市大字北川字苅場坂の土地は親番で1213番から1220番の8筆のみであることが分かりました。
続いて、さいたま地方法務局飯能出張所での調査結果です。こちらの公図も見事に苅場坂でした。土地台帳については1889(明治22)年に行われた当初作成の「埼玉県秩父郡吾野村大字北川」の土地台帳の該当する地番の小字はすべて苅場坂でした。その他の小字としては、藤原、田通、峯、三田久保、岩井沢、都津路、石風呂、日影指、釜ノ入、二ツ岩、岩茸石、山嵜、山根等がありました。また土地台帳の用紙が面白く「埼玉縣」「關東信越國税局」「東京税務監督局」などの用紙があり土地台帳制度の変遷が感じられました。
続いて登記簿については、登記簿の電算化に伴う閉鎖登記簿を閲覧した範囲では、該当する地番の小字はすべて苅場坂で、当方が確認した表題部での最も古い記載は明治35(1902)年5月21日受付で、土地の所在は「秩父郡吾野村大字北川字苅場坂」でした。また甲区では大正8(1919)年10月10日受付の所有権保存登記で共有者18人というものがあり刈場坂峠附近の土地に入会地があることが分かりました。

続いて、ときがわ町分の刈場坂峠所在地に関する、ときがわ町役場とさいたま地方法務局東松山支局での調査結果です。

まずは、ときがわ町役場での調査結果です。公図の閲覧申請には地番を特定する必要がありますが当方に特定は不可能です。そこで窓口で「土地の地番は分かんないんですけどぉ・・・刈場坂峠の公図を見せていただけますかぁ・・・」という感じでお願いし、探し出していただいたのが「比企郡ときがわ町大字大野字舟ノ沢1070番1」の公図です。ちなみに、ときがわ町側には小字としての刈場坂や苅場坂はありません。
役場にある舟ノ沢の公図は全域で8葉であり、複写されたものもありました。図葉によって小字名の表記が異なるものがあり、国土地理院の2.5万図が舟の沢と平仮名で表記しているように、公図の中にも舟の沢の表記がありました。

続いて、さいたま地方法務局東松山支局での調査結果です。舟ノ沢の表記について電算化に伴う閉鎖登記簿を閲覧した結果、舟ノ沢の親番29筆中、なんと6通りの表記がありました。具体的には、舟ノ沢、舩ノ澤、舟ノ澤、舩ノ沢、船ノ澤、舟之沢です。このような混在はときがわ町に限らず珍しいことではありません。当方が飯能市大字北川字苅場坂の土地台帳、登記簿及び公図の閲覧にこだわっていた理由はまさにこの点にあります。もしかすると苅場坂に刈場坂等が混じっているのではないかと思っていたのでした。なお、現在舟ノ沢については全筆の表題部が再製され、加えて電算化されているので舟ノ沢に統一されています。
ところで舟ノ沢の最終地番を閉鎖登記簿で特定することができなかったので、引き続いて土地台帳を見せていただきました。土地台帳、閉鎖登記簿、公図を見比べていて、当方の常識を大きく超えた縄伸びと林道部分の分筆がなされていないことに非常な驚きを感じました。

※1 土地台帳等については、藤原勇喜『公図の研究』(1986・大蔵省印刷局)を参照して記述しました。

※2 市町村合併については、埼玉県地方課『埼玉県市町村合併史』(1962・埼玉県自治研究会)を参照して記述しました。

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