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2014年11月 7日 (金)

刈場坂峠(苅場坂峠)その13

まとめ

刈場坂峠(苅場坂峠)について12編の記事を作成しながら調べてきました。ここでまとめに入りたいと思います。なお、この記事においては呼称については連濁しないものとして記しています。

江戸時代の刈場坂峠附近は入会地としての秣場であり、漢字表記は苅場と坂の複合語としての「苅場坂」で、呼称は『新編武蔵風土記稿』の「蒲阪」や「蒲坂」の表記から考えて「かばさか」であったと思われます。

明治時代になると土地台帳、登記簿及び公図などが整備され、字(あざ)としての「苅場坂」の存在や表記が明確となりました。

昭和初期になって、武蔵野鉄道は路線を吾野駅まで延伸し、従来外秩父と呼称されてきた区域の一部を奥武蔵(野)、刈場坂峠附近を奥武蔵高原、また奥武蔵高原スキー場の第一ヒュッテの所在地を「刈場坂峠」と名付けました。その呼称は昭和初期の山岳関係の書籍の記載から考えて「かばさかとうげ」であったと思われます。

その後も峠を挟んで南北の位置関係にある飯能市とときがわ町のそれぞれの地元では峠を付けずに「刈場坂(かばさか)」と呼称されることが続いていました。また、登山者やハイカーの間では「刈場坂峠(かばさかとうげ)」と呼称され続けており、国土地理院の地形図でも1961(昭和36)年発行分から新たに「刈場坂峠」の地名が表記されるようになりました。

その後、従来から飯能市の一部では「苅場坂峠」の表記があったものの、1968(昭和43)年5月の奥武蔵林道の竣工に伴って埼玉県の林業担当部局が行った「苅場坂峠」の表記を契機として、埼玉県、飯能市及び奥武蔵林道開設促進期成同盟会(飯能市、日高町、毛呂山町、越生町、都幾川村及び飯能市森林組合で組織した団体)の公文書や新聞等で「苅場坂峠」も使用されるようになりました。

一方、飯能市では市史編纂事業が進み1986(昭和61)年には「苅場坂(読みはカリバサカ 地元での呼称はカバサカ)」や「苅場坂峠」の記述を含む『飯能市史資料編11地名・姓氏』が出版されました。また、都幾川村においても2001(平成13)年には「刈場坂峠」に「かりばさかとうげ」のルビを付した『都幾川村史通史編』が出版されました。飯能市や都幾川村の「正史」に「かりばさか」と表記されたことは、「文字(複合語の場合は元の単語の区切り)に即してより厳密に、より厳格に・・・」の時代の雰囲気ともあいまって、その後の呼称の流れを決定づけたようにも思われます。

その後、飯能市においては平成4~5年頃から市勢要覧や小学校社会科副読本等において「苅場坂峠」と表記する傾向が強まりましたが、現在の市勢要覧においては「刈場坂峠」と表記しています。

以上のような経過により、現在では「刈場坂峠」と「苅場坂峠」の2つの表記と「かばさかとうげ」と「かりばさかとうげ」の2つの呼称が混在する結果となっています。

このカテゴリーの刈場坂峠(苅場坂峠)その1の「まえがき」のなかでも触れましたが、そもそも表記や呼称を統一すべきなのか、あるいは統一する必要が本当にあるのかどうかは分かりません。「日常生活に支障ないんだから、混在している今のままでいいんじゃん。そもそも地名ってそういうもんだし・・・」とかも思います。

ガチガチに地元での旧来からの用法を重んじて「峠」を付ける前の「苅場坂」の表記に戻すという考え方もあるかもしれませんが、「峠」を付けることが広く定着している今となっては現実離れしているとしか思えませんし、逆に「区域としての苅場坂」を示す用法がすたれてしまうような気もします。

一方従来どおり「峠」を付けることとする場合には、そもそも「刈場坂」に「峠」を付けたのは昭和初期の武蔵野鉄道であって、最初から「苅場坂」に「峠」を付けて「苅場坂峠」と表記していれば現在のように行政機関によって異なる表記がなされるような混乱は起こっていなかったと考えられますので、今後、入会地としての秣場が存在していた歴史をより明確に後世に伝える意味から、また正式な小字も「苅場坂」であることから、積極的に「苅場坂峠」と表記する案も住民、行政機関の共通理解が得られるのなら、それはそれで良いことのように思います。きっと、今から始めると「芦苅場」のように30年くらい経てば「苅場坂峠」への統一がほぼなされているかもしれませんが、今はネット社会なので意外と早い段階で統一されてしまうかもしれません。

とはいえ、そのような統一に向けての行政機関相互の動きができないのであれば、今までの経緯をいろいろと調べてみて、刈場坂峠の表記については昭和初期以来約80年間にわたって使い続けられている「刈場坂峠」が妥当であると思います。

呼称については、特別な事情がない限りできるだけ地元で受け継がれてきた呼称を尊重すべきと思います。また連濁するかしないかが明らかに混在している地名は、偶然かもしれませんが『飯能市史資料編11地名・姓氏』や『都幾川村史通史編』での呼称やルビのように連濁しないものとして取り扱うのが妥当のように思います。これらのことから呼称は「かばさかとうげ」が妥当であると思います。もっとも飯能市やときがわ町の行政で「かりばさかとうげ」と呼称されているらしい今となっては、やがてその方向に収束して行ってしまうのだろうとは思います。

最後に、2014(平成26)年11月7日現在、グーグルでのWeb検索ヒット数は「刈場坂峠」53,000件、「苅場坂峠」4,730件で「刈場坂峠」が約11倍多くなっています。
呼称は「かばさかとうげ」586件、「かばざかとうげ」98件、「かりばさかとうげ」657件、「かりばざかとうげ」84件で、連濁がないものとすれば「かばさかとうげ」684件、「かりばさかとうげ」741件で、地元での伝統的な呼称「かばさか」はすでに少数派となってしまっています。

以上で、カテゴリー刈場坂峠(苅場坂峠)の記事のまとめとしたいと思います。

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コメント

長期研究、ご苦労さまです。
表記問題、印刷媒体が発生した時点から、口語・聞き伝えの文言を、文字に落とし込む際の当て字を含めた揺らぎ問題が、アチコチにあると思います。
住居表示に絡まないところがそうですね。
歴史が古いと、印刷媒体が広まったことによって、その読み方でさらに揺らいだりするのかと思います。
奥多摩では、メジャーなところでは川乗山/川苔山とか、矢ノ音/ヤノートとか。。
(役人がいい加減な仕事しているっぽいところもあったり:林道の名前とか←有馬林道)
場所・モノの名前は、結局数がモノを言うのかと感じています。

>アンプ犬さん
コメントありがとうございます。
ご指摘のとおり口語・口伝え主体の時代は新編武蔵風土記稿の「蒲阪」や「蒲坂」のように、文字が従でOKなおおらかな時代だったのだと思います。
ところが現代は、文字(活字)が一人歩きを始めると元々の読みは何処へやら状態で、文字(複合語の場合は元の単語の区切り)に即して厳格・厳密に発音するようになっちゃう感じなんだと思います。刈場坂峠(苅場坂峠)の場合で面白い(or残念な)のは、あくまでも結果としてですが、文字(活字)を一人歩きさせたのが一つの企業であったり、一部の役所であったりしたところだと思います。これを収束させようとするなら、ご指摘のとおり役所の方々に束になっていただいて数にモノを言わせるのが近道だと思います。何しろそうでもしないと、道路標識も、サインも、峠の標も、指導標も統一できませんからね(^^;

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