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2014年11月 4日 (火)

刈場坂峠(苅場坂峠)その8

奥武蔵林道

刈場坂峠を語る上で、奥武蔵高原スキー場の開場と奥武蔵林道(奥武蔵グリーンライン)の開設を避けて通ることはできません。なぜなら奥武蔵高原スキー場は刈場坂峠という地名を生み出しましたし、奥武蔵林道は苅場坂峠という表記を世に広めたからです。

埼玉県は1963(昭和38)年に観光開発道路として奥武蔵グリーンラインコースを計画しました。この計画の内容は埼玉県『埼玉県総合振興計画』(1963)に詳しく記されていますが、基本的に飯能と秩父を結ぶ国道299号線(歴史的な意味での吾野道)の枝線的観光開発道路を作る計画で、第1次計画(計画年度は1962(昭和37)年度から1970(昭和45)年度)では「正丸峠-刈場坂峠-大野峠-丸山-堂平山-定峰峠 総延長20km 幅員4.5m」を整備することとしていました。

当時の路線図を見ますと、第1次計画には、林道苅場坂線、林道奥武蔵1号線、林道奈田良線、大野峠から丸山までの丸山林道の一部、白石峠から堂平山に向かう林道堂平山線、白石峠から大野に至る県道大野東松山(172号)線の一部が含まれています。

この計画によって埼玉県の奥武蔵林道の開設が進められましたが、その経緯については埼玉県『埼玉県行政史第4巻』(1988)に詳しく記されています。第1章 高度成長と開発行政の本格化 第3節 高度成長と農政の転換の中に「奥武蔵林道の開通」の項があり、(引用開始)本県の大規模な多目的林道としては、奥武蔵林道の開設があるが、この林道の第1期工事は昭和40年度に着工し、42年度に竣工したもので、飯能市の子の神戸(国道299号線)を起点として苅場坂峠、大野峠(標高853メートル)、白石峠を経て定峰峠に至る延長14キロメートル、総工事費2億4,000万円であった。このうち、昭和41年度分の延長1.8キロメートルは、農林漁業揮発油税の身替り措置として昭和40年度に創設された略称「農免林道」である。これは峠を越えて他の林道と接続することができることから峰越林道ともいわれた。奥武蔵林道は、これまでこの地域に開設された各路線を結ぶことによって、林業生産団地の広域化、集団化、組織化による生産性の向上を図り、併せて森林レクリエーション機能の効果も発揮させようとするものであった。これは昭和48年度に国が定めた広域基幹林道に先駆けて実施したもので画期的な林道であった。なお、第2期工事は、昭和44年度から46年度に苅場坂峠から顔振峠まで延長13キロメートルを開設し、さらに、第3期工事は46年度から着工した。(引用終了)と記されています。

当方が図書館で閲覧した資料※から奥武蔵林道開設の経緯をまとめると次のようになります。

昭和38~40年度施工 奈田良線(定峰峠~白石峠) 2,740m
昭和40~42年度施工 苅場坂線(子の神戸~刈場坂峠)5,620m
昭和41~42年度施工 奥武蔵1号線(白石峠~刈場坂峠) 5,424m
昭和42年度施工 奥武蔵支線(刈場坂峠附近~舟の沢) 1,270m
昭和43年5月10日 奥武蔵林道竣工式(刈場坂峠 栗原浩知事出席)
昭和44~46年度施工 奥武蔵2号線(風影~刈場坂峠) 11,768m
昭和46~不詳年度施工 権現堂線(中野線分岐~風影) 8,081m
昭和49年5月30日 奥武蔵林道完工式(刈場坂峠 畑和知事出席)

このような経緯で奥武蔵林道は完成し、そのことを綴った『埼玉県行政史第4巻』でも苅場坂峠が用いられました。埼玉県の林業担当部局では林道開設、治山工事及び保安林の指定などで地名としての苅場坂を用いる機会は多くあったと思われ、その延長で苅場坂峠の表記がなされ、地元飯能市の行政や新聞報道などにも影響を与えたことは自然のことと思います。加えて地名の由来が入会地としての秣場であったことを考えれば苅場坂峠の表記が妥当ともいえますが、埼玉県の林業担当部局以外では刈場坂峠の表記が用いられているように思われます。

以下の写真は奥武蔵グリーンライン上に設置されている苅場坂峠を示す道路標識です。

八徳入線分岐です。

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高山不動尊入口です。

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大野峠(丸山林道側)です。

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大野峠(高篠峠側)です。こちらの標識は風であおられたのか少し上を向いた状態になっています。

2014110710

とはいえ埼玉県の林業担当部局が設置した案内板の類がすべて苅場坂峠というわけではなく、飯能林業事務所が設置した林道奥武蔵2号線の看板や、

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寄居林業事務所が設置した刈場坂峠のサインなどもあります。

2014110712

なお、ハイキング関係の指導標で「刈場坂峠」以外の表記を見かけたことはありません。唯一「苅場坂峠」の表記が含まれていたのは刈場坂峠附近の建物群のところにある「苅場坂峠いこいの里」の標柱です。

※ 2015(平成27)年5月11日追記 ツツジ山南方の尾根上等に飯能市の設置した「苅場坂峠」と記された指導標が3か所あることが分かりました。当方の探訪記事はこちら

2015051005_2_2

----------追記終了

※ 埼玉県『埼玉県行政史第4巻』(1988)
埼玉県農林部森づくり課『森林・林業と統計 平成20年度版』(2008)
寄居林業事務所『寄居林業事務所30年のあゆみ』(1987)

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