« 刈場坂峠(苅場坂峠)その10 | トップページ | 刈場坂峠(苅場坂峠)その12 »

2014年11月 6日 (木)

刈場坂峠(苅場坂峠)その11

ときがわ町の資料

刈場坂峠はときがわ町でどう呼ばれて来たかを調べてみました。『新編武蔵風土記稿』や『武蔵国郡村誌』の秩父郡大野村の部分では刈場坂峠に直接つながる記述を見つけることはできませんでした。また、昭和初期の文献についても探すことはできませんでした。

都幾川村『昭和35年度調整 基本計画書』(1960・28頁)には第11章観光施設事業計画として「本村は(中略)天文台建設地の堂平山、大野峠、刈場坂峠といわゆる奥武蔵高原の山岳地帯と(後略)」と記されており、刈場坂峠の呼び名は認知されていたことになりますが、「いわゆる奥武蔵高原」という表現は面白いです。
具体策の項目を読むと(引用開始)(3)堂平山、大野峠、刈場坂施設計画 堂平山は天文台建設に伴い、天文台道路が設置され観光道路として約される。山頂に無料休憩所及び有料簡易宿泊所を建設する計画については、全面的にこれに協力し実現をはかりこの維持管理は村がこれに当るものとする。大野峠、刈場坂附近については、登山道を改修し、指導標を作り山頂には天望台(ママ)を構築し又、便所、腰掛等の施設をなす(引用終了)と記してあります。
つまり、刈場坂とか刈場坂附近などの表現から分かるように、当時の都幾川村行政の内部においては刈場坂峠よりも刈場坂の方が一般的に用いられていた感じがします。

続いて、広報ときがわの1970(昭和45)年4月の記事です。(引用開始)奥武蔵林道がぶな(木偏に義)峠まで延長 外秩父(白石峠-高篠峠-大野峠-刈場坂峠)の山々を走るスカイラインは、すでに皆さんにおなじみの奥武蔵林道ですが、現在この道は白石峠から刈場坂峠を経て正丸峠へと通じでおります。(後略)(引用終了)と記されています。この記事からも分かるように都幾川村においては埼玉県の林道苅場坂線開通以後においても、飯能市と異なり奥武蔵林道開設促進期成同盟会の構成団体ではあったものの、基本的に刈場坂峠と表記し続けています。

次に、都幾川村『都幾川村史通史編』(2001)を見てみます。この本の中では刈場坂峠に「かりばさかとうげ」のルビが付される事態が頻発(一例:836頁)しています。飯能市『飯能市史資料編11地名・姓氏』(1986)において苅場坂の公式の読みが「かりばさか」とされたことと無縁ではないようにも思いますが、都幾川村役場の歴史を知る方に聞いてみたい気持ちで一杯です。当方が地元の方に聞き取り調査をした限りでは、戦前から呼び名は「刈場坂(かばさか)」や「スキー場」に限られています。確かに一般的に刈場坂を示せば「かりばのさか」の意味から「かりばさか」と読むのが自然ではあるとは思います。

以上の調査に加え、土地台帳、登記簿及び公図等の調査を総合すると、ときがわ町に刈場坂や苅場坂の地名はないものの、稜線南側の北川村等での呼称を考えると、「苅場坂(かばさか)」という呼び名は江戸時代から使われていたものと思われます。昭和初期の武蔵野鉄道の奥武蔵高原や刈場坂峠の命名と同時に、ときがわ町内にはスキー場が立地していたこともあって、同時にそれらの呼称が持ち込まれたものと思われますが、現在の刈場坂地内やときがわ町地内の高齢者がそうであるように、都幾川村役場内部では1960(昭和35)年に至っても単に刈場坂の表現が使われていたことは計画書などから明らかです。その後については都幾川村史における「かりばさかとうげ」の表現などはありますが、飯能市とは異なり刈場坂峠の漢字表記を一貫して継続しています。

最後に、刈場坂峠にある「刈場坂峠の標」の写真です。この峠の標を管理しているのはときがわ町で、2013(平成25)年に行われた修繕もときがわ町が行い、写真は修繕後のものです。

2013101201

« 刈場坂峠(苅場坂峠)その10 | トップページ | 刈場坂峠(苅場坂峠)その12 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 刈場坂峠(苅場坂峠)その10 | トップページ | 刈場坂峠(苅場坂峠)その12 »