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2014年11月 5日 (水)

刈場坂峠(苅場坂峠)その9

飯能市広報紙・文化新聞

飯能市は管内の地名に関する権限を持つ行政機関であること、市内に苅場坂という小字があること、かつて公文書等で苅場坂峠を使用する頻度が埼玉県の林業担当部局と並んで高かったこと等の理由により、飯能市の広報紙、市勢要覧、社会科副読本で刈場坂峠の呼称の変遷を調べてみました。また地元紙である文化新聞の記事も検索してみました。

まずは飯能市立図書館に保存されている飯能市の広報紙の中で「刈場坂峠が何と呼ばれてきたか」に関する調査結果です。飯能市立図書館に保管されている1971(昭和46)年分までの全部に目を通してみました。長い期間の広報紙が保存され閲覧できること自体ありがたいことなのですが、根気のいる作業で加えて見落としもありそうで、電子書籍化されたときには、より確実に検索できると思います。

飯能町の広報紙である「飯能町メガホン」は1950(昭和25)年1月15日(第1)号が発行されました。その当時は吾野村を合併する前なので刈場坂峠は町域に含まれていません。
1954(昭和29)年1月1日に飯能町は市制を施行し、広報紙も「飯能市メガホン」となり、昭和39年4月30日(第318)号まで発行されました。発行所は「飯能市報道委員会(市役所内)」となっています。
1956(昭和31)年9月30日、飯能市は吾野村、東吾野村、原市場村を合併し、刈場坂峠が市域に含まれることになりました。
1964(昭和39)年5月15日(第319)号から「飯能市メガホン」は「広報はんのう」となっています。

刈場坂峠に関する記事で当方が発見できたものは以下のものですが、残念ながらルビが付されている記事はありませんでした。

1962(昭和37)年5月15日(第273)号1頁の記事に「ハイカーでにぎわう奥武蔵」という記事があります。「(※昭和37年の)4月29日から5月8日まで、とび石の休日東京方面から電車や観光バス、自家用車などで押し寄せたハイカーが新緑につつまれた奥武蔵をおとづれ、正丸峠から伊豆ヶ岳や丸山、刈場坂峠、高山不動様へ登るもの、また、名栗川、高麗川の清流に糸をたれるもの、川原に毛布を敷き楽しい1日をすごす家族づれなどが、ゴールデンウイークを心ゆくまで楽しんでいた。(ママ)」とのものです。ここで初めて刈場坂峠が出てきました。

1968(昭和43)年6月1日(第411)号には、「奥武蔵林道完成 森林資源と観光の開発に期待」という記事が掲載されており、写真はなく全文は次のとおりです。
(引用開始)四十年から工事をはじめていた奥武蔵林道が、このほど完成し、苅場坂峠で県知事ら関係者が出席して、竣工式が行なわれました。この林道は、県が約二億五千万円をかけて完成したもので、子の神戸を起点として、苅場坂峠、大野峠を経て、秩父の定峰峠に至る、延長十七キロメートルのながめの良い基幹林道です。この林道完成によって、林業経営の近代化は、もとより今までねむっていた、ばく大な森林資源の開発に、また自然公園の観光開発に大きな役割りを果たすことが期待されます。(引用終了)
この記事の作成にあたっては埼玉県の林業担当部局の作成した資料等が参考となっているものと思われます。

1969年(昭和44)年1月1日(第425)号には、「市政一年のあゆみ」と題する写真記事の一つに「奥武蔵林道完成 この林道は、子の神戸を起点として苅場坂峠、大野峠を経て秩父の定峰峠にいたる延長約17キロのながめのよい基幹林道です。」と紹介されています。

1969(昭和44)年10月1日(第442)号には、「奥武蔵グリーンライン 第二期工事に着手」という記事が、工事の様子を写した写真入りで掲載されています。記事の一部は次のとおりです。
(引用開始)西川林業地帯の中核である奥武蔵高原を貫通する大型林道として夢のグリーンラインと呼ばれる県営の大型林道がこのほど第二期工事に着手されました。この林道は、苅場坂峠を起点として、ぶな峠、飯盛峠、高山、傘杉峠、顔振峠を経て風影林道に通じるもので、昭和四十四年度から昭和四十七年度まで四か年計画で実施されるものです(ママ・後略)(引用終了)

その後の広報紙については、1号あたりの頁数も増えてさすがに根気も切れてきましたのでポイントを絞って閲覧しました。

1974(昭和49)年7月1日(第551)号7頁には写真ニュースとして「奥武蔵林道のしゅん工式 林道奥武蔵線第二期工事しゅん工式は、5月30日、刈場坂峠で行われました。開通にあたって、畑知事、市川市長、工事施工業者がテープカットし、しゅん工を祝いました。」の記事とともにテープカットの写真が掲載されています。

まとめてみると「広報はんのう」に刈場坂峠が登場するのは奥武蔵林道関係の記事が多く一つを除いて苅場坂峠と表記しています。県営苅場坂線以降の奥武蔵林道開通に関しては埼玉新聞も苅場坂峠と表記して記事を書いていますので、「広報はんのう」を含めて埼玉県の林業担当部局の作成した資料等の影響を感じます。

続いて文化新聞の記事です。文化新聞については飯能市周辺の記事が多く飯能市立図書館文化新聞閲覧システムで見出しを検索することができます。検索した結果は次のとおりです。
1957(昭和32)年4月5日号には「苅場坂峠で山林焼く」との記事があり、奥武蔵林道の苅場坂線開通以前に飯能市内において苅場坂峠の表記があったことが分かり非常に驚きました。
1959(昭和34)年4月18日号には「刈場坂峠へ集中登山 奥武蔵ワンダーフォーゲル」という記事がありました。
1968(昭和43)年5月3日号には「十日かば坂で完工祝賀式 開けた奥武蔵林道 第二期工事も近く着工」との記事があり、本文を読むと連濁せず「かばさかとうげ」と記されています。

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