« 刈場坂峠(苅場坂峠)その5 | トップページ | 刈場坂峠(苅場坂峠)その7 »

2014年11月 3日 (月)

刈場坂峠(苅場坂峠)その6

奥武蔵高原スキー場

神山弘・新井良輔『増補ものがたり奥武蔵 伝説探訪二人旅』(1984・金曜堂出版部・182頁)には、昭和初期の武蔵野鉄道の刈場坂峠(実際には秩父郡大椚村大野等の秣場)における「奥武蔵高原スキー場」の開設について「今まで外秩父と総称されていたこの峠道一体を奥武蔵高原と名付け、無名の草刈場の入会地を、草刈場へ登る坂の意味から刈場坂峠と呼ばせ(以下略)」と記しています。苅場坂の地名は古くからあり無名の草刈場ではなかったはずですが、少なくとも武蔵野鉄道が刈場坂峠附近を奥武蔵高原と命名し、刈場坂に峠を付けたのは確実なことのようです。なお、この本の中での峠名は刈場坂峠で統一されており、読みについては、「かばさかとうげ」と「かばざかとうげ」の両方のルビが確認できました。

大野鉄人原作『説経浄瑠璃節原本 武蔵野史談吾野観音霊験記』(1934(昭和9)年8月6日発行)の附録「吾野線沿線案内」についてです。

(引用開始)奥武蔵スキー場(ママ)
現在武蔵野バス終点より一里を算するもバス延長の上は十五丁或は十丁なるべし。
秩父郡大椚村仝高篠村仝芦ヶ久保村に接続せる大高原に有り。季節を待って開場す。武蔵野鉄道会社の建設せる家屋は山岳探見者山岳旅行者に克く便を与ふ。附近陣馬ヶ窪は山頂の大平原なり。此地に伝説あり。掻抓えて述べよう。元来伝説其儘なれば他の各記事と御混読御無用に希う。(後略)
奥武蔵の峰入(尾根縦走) 山岳旅行初歩都人士の足馴し
子の山を過ぎ天目指峠を経伊豆ヶ岳に至り是より北に向って大蔵山正丸峠を過ぎて苅場坂上奥武蔵スキー場に着くべし。更に転じて東に向い(後略)
※宿泊先として挙げられている場所:子の山、高山不動、奥武蔵スキー場(引用終了)

興味深いのは、1934(昭和9)年夏の時点で奥武蔵高原スキー場は存在しており、かつ登山者の宿泊先として紹介できるヒュッテが刈場坂峠にあったということです。大畠達司編・著『或る峠の物語 -奥武蔵・刈場坂峠-』(1998)の記述を見ても「刈場坂峠のスキー場は、昭和九年の劈頭日帰りスキー場として開場したものである」との記述があります。武蔵野鉄道が吾野駅まで通じたのが1929(昭和4)年9月10日ですので、わずかな期間の中で奥武蔵※という言葉が使われだしたことも分かります。また「秩父郡大椚村仝高篠村仝芦ヶ久保村に接続せる大高原に有り」も面白く、奥武蔵高原という言葉を使っていません。また高篠村の表記からスキー場が刈場坂峠だけではなく、現在の丸山に第3ゲレンデがあったことを示しています。加えて「奥武蔵の峰入」の文の中で「苅場坂上奥武蔵スキー場に着くべし」と書いてありますので、奥武蔵高原スキー場の位置を示す言葉として刈場坂峠が使われておらず、刈場坂の表記が苅場坂であることに注目したいと思います。

奥武蔵高原スキー場のパンフレットです。写真をクリックすると拡大します。参考までに「第一ゲレンデ」、「奥武蔵ヒュッテNO1」、「奥武蔵ヒュッテNO2」の記載を転載しておきます。
「第一ゲレンデ」
刈場坂峠の頂上の一号ヒュッテのある山稜から北へ流れた約十万坪の大スロープで上部は稍急ですが中部以下は緩やかで初歩の方にも専門の方にも向く変化の多いゲレンデです。スロープの最下端に十余坪の二号ヒュッテがあります。
「奥武蔵ヒュッテNO1」
刈場坂峠の丁字路にあり。案内所、食堂、売店、携帯品一時預り、貸スキー、スキー保管預り、風呂、暖房の設備あり。収容人員五〇人。宿泊料三〇銭(食事は別)朝食一五銭、昼夕食二〇銭。」などと記載されています。
「奥武蔵ヒュッテNO2」
第一ゲレンデの最下端にあり。食堂、売店、携帯品一時預り、風呂、暖房の設備あり。収容人員二五人。宿泊料三〇銭(食事は別)朝食一五銭、昼夕食二〇銭。

2010071103

最後に広報ときがわの1998(平成10)年3月号に掲載されている「村史編さんだより96」を紹介します。この号には奥武蔵高原スキー場のことが書かれていて、現在もこのスキー場で使われたスキー板が残っていることなども書かれており、(引用開始)当時、刈場坂峠には旗が上がっているとんがり屋根の小屋があり、管理人夫婦がいてキャンプする人などを泊めていたということです。この場所から曲がりくねった坂を下るとスキー場(約一五〇メートル)、その下に小屋があり、スキー場の幅は余りなく、コースの左側には岩石が出ていたと言います。下にあった小屋は三十人ぐらいの人が入れる食堂があり、カレーライスなどが食べられたそうです。(中略)昭和十一年(二・二六事件の年)二月五日、県内は三十八年ぶりの大雪に見舞われ、奥武蔵スキー場には積雪が五十五センチ(後略)(引用終了)などと書かれています。

なお、2012(平成24)年9月22日から11月11日までの開催された東京都練馬区立石神井公園ふるさと文化館の特別展「鉄道の開通と小さな旅 西武・東上沿線の観光」を観覧したときに奥武蔵高原スキー場をめぐる史料は探せば数多くありそうな印象を持ちました。

※特別展『鉄道の開通と小さな旅 西武・東上沿線の観光』の図録に掲載されたパンフレットには「奥武蔵野」と記しているものもあります。

« 刈場坂峠(苅場坂峠)その5 | トップページ | 刈場坂峠(苅場坂峠)その7 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 刈場坂峠(苅場坂峠)その5 | トップページ | 刈場坂峠(苅場坂峠)その7 »