« 刈場坂峠(苅場坂峠)その1 | トップページ | 刈場坂峠(苅場坂峠)その3 »

2014年11月 1日 (土)

刈場坂峠(苅場坂峠)その2

連濁・聞き取り調査

当方は以前から刈場坂峠を「刈場坂峠(かばさかとうげ)」と呼んでいましたが、刈場坂峠の呼称を考えるとき、まず初めに連濁(れんだく)の問題にふれておくことが必要と思います。連濁とは、二つ以上の語が結びついて複合語になる際に、後ろの語の語頭の清音が濁音に変化することをいいます。刈場坂峠は「刈場」+「坂」+「峠」の3語の複合語ですが、最後の「とうげ」については連濁して「どうげ」とはなりませんので「刈場坂」に着目すると、「刈場」を「かば」と読むにせよ「かりば」と読むにせよ、それに続く「坂」の読みが「さか」になったり「ざか」になったりするのです。

連濁については多くの研究があるようですが、興味深いものとしては連濁した複合語は元の語の区切りが連濁によって分かるのでアクセントが平板化する場合もあるという研究です。つまり「刈場坂」の例で言えば「ばさか」にアクセントがある「かばさか」と平板化したアクセントの「かばざか」の違いです。さらに後ろに「峠」をつけた場合には「とうげ」にアクセントが来ざるを得ず、「刈場坂」の部分は一体化して4種いずれの読み方でもアクセントは平板化しているように感じます。またあくまでも発音の例として示しますが「苅場坂線(かりばさかせん)」と「苅場坂線(かりばざかせん)」では後者の方が発音しやすいように感じます。また、連濁した方が2語の結びつきがより一体化している、あるいは言葉として日常化しているようにも感じられます。※

また連濁については、かつて連濁していた言葉が、近頃は連濁せずに発音されるケースが多くなっているようにも感じます。

なお「刈場」は秣場等の入会地を示す言葉であり本来の表記は「苅場」です。「刈」に草冠がついた「苅」は飯能市の大字である「苅生(かろう)」という地名が示すように焼畑を示す場合もありますが一般的には草を刈るという意味の国字であり、入会地である秣場等の表記にはふさわしい文字であるといえます。用語としての「苅場」の使用例としては、埼玉県『新編埼玉県史通史編3近世Ⅰ』(1988・480頁)に「(野元と入会村の対立に関して)貞享4年(1687)に裁許が下された秩父郡阿熊村と下吉田村(吉田町)の山論の場合には、下吉田村が阿熊村内の3か所の苅場に入会う代わりに(原文縦書)」などの例があげられます。また「苅」の文字を用いた地名としては、先にあげた飯能市の大字の「苅生」の他に、同じく飯能市の大字の「芦苅場」、小字の「苅場坂」があります。

続いて、表記及び呼び名に関する当方の聞き取り調査の結果です。以下に聞き取りした方と日付、そして聞き取った内容を列記しました。

1 刈場坂地内の高齢者3人(2010(平成22)年4月24日)
・刈場坂は「かばざか」と平板化したアクセントで発音する。
・登記を除き苅場坂とは書かない。
・刈場坂は正丸トンネル東入口附近から刈場坂峠にいたる辺りを指す。
・刈場坂峠とは呼ばず、単に刈場坂と呼ぶ。

2 刈場坂峠に関する本を書かれた方(同年6月14日頃)
・峠の名前は稜線の左右で異なったりするものであり厳密に考えないほうが良い。
・戦前から刈場坂の表記のみで苅場坂の表記は見たことがない。
・昔から「かばさかとうげ」と呼んでおり、往時の登山者に「かりばさ(ざ)かとうげ」と呼ぶ人がいたのかどうかは分からない。

3 かつて刈場坂峠にあった奥武蔵高原スキー場の管理人をされていた方と面識のある方(同年6月14日頃)
・戦前から刈場坂の表記のみで苅場坂の表記は見たことがない。
・ときがわ町の地元では「とうげ」を付けずに単に「かばさか」と呼んでいた。
・昭和30年代でも、刈場坂峠から大野峠を経て秩父夜祭を歩いて見に行っていた。その頃の大野峠あたりの植林地は木が小さくワラビなどが良く採れた。

4 刈場坂地内の若年者(同年6月24日)
・刈場坂地内の年配世代は刈場坂峠を単に「かばざか」と呼ぶ。

5 ときがわ町大字椚平の高齢者(同年7月7日)
・椚平の高齢者の間では今でも刈場坂峠をスキー場と呼ぶことがある。

6 刈場坂地内の高齢者(同年7月10日)
・刈場坂地内にある神社(祠)を地元では「やまのかみ」と呼んでいる。
・神社より上流の集落は、外部での呼称は「刈場坂(かばざか・かばさか)」であるが、集落内では(本人が)子どもの頃(60年以上前)から「苅場坂(かりばざか)」である。
・苅場坂に峠はつけない。

7 飯能市大字南川地内の高齢者(同年7月10日)
・刈場坂峠にスキー場ができたが、その当時は地元でも「刈場坂峠(かばさかとうげ)」と呼んでいた。
・聞き取り調査の中で(本人は)時々「かりばざかとうげ」と呼んでおられた。

8 ときがわ町大字椚平の高齢者(同年7月31日頃)
・1955(昭和30)年頃まで刈場坂峠附近にスキー場の看板があった。

聞き取り調査の結果は以上のようでしたが、飯能市『飯能市史資料編11地名・姓氏』(1986・163頁)には「苅場坂(読みはカリバサカ 地元での呼称はカバサカ) 岩茸石の西、飯能市の西北端になる。北東に苅場坂峠があり西すれば秩父にでる。カリバは猟の狩場、柴草などの苅場など、いろいろに受けとれるが、文字の上からも地形からもカリ(苅)畑、カリウ(苅生)畑といわれる焼畑であろう。(苅生参照)」と記載されています。連濁や秣場等の入会地であった「苅場」のことを考えると、誠にまっとうな解説文のように感じられます。

※連濁については、高橋直彦「連濁に対する(見かけ上の)反例」(東北学院大学学術研究会・2010)等を参考に記述しました。

« 刈場坂峠(苅場坂峠)その1 | トップページ | 刈場坂峠(苅場坂峠)その3 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 刈場坂峠(苅場坂峠)その1 | トップページ | 刈場坂峠(苅場坂峠)その3 »