« 刈場坂峠(苅場坂峠)その11 | トップページ | 刈場坂峠(苅場坂峠)その13 »

2014年11月 6日 (木)

刈場坂峠(苅場坂峠)その12

国土地理院の地形図

国土地理院の地形図における刈場坂峠の表記について2010年7月に調べました。方法は国土地理院関東地方測量部での旧版地形図の閲覧です。閲覧は無料で申請書に記入してから自分でパソコンを操作して閲覧する方式であり、コピー(謄本)が欲しい場合には@500円(当時)で最新版を除き作成してくれました。

調査結果は下表のとおりです。5万分の1地形図「秩父」で刈場坂峠の表記が最初に登場するのが昭和34年部分修正版(昭和36年8月30日発行)です。地域の名称としての刈場坂の表記が最初に登場するのが昭和46年編集版(昭和47年12月28日発行・最初の2.5万図からの編集図)からとなります。

2014110601

一方2.5万分の1地形図「正丸峠」では、最初に発行された昭和45年測量版(昭和47年5月30日発行)から刈場坂峠及び刈場坂の表記が継続してなされています。

2014110602

下の地図は刈場坂峠の表記が最初になされた5万分の1地形図「秩父」(昭和34年部分修正版(昭和36年8月30日発行))の一部です。面白いことには、刈場坂峠の位置が「七曲り峠」の位置に表記されていることで、担当の方に伺ったところでは単なる誤りとのことで、次の版からは修正されています。

その他で面白いことは、稜線上の植生が荒地記号となっており、その当時に至っても附近が茅戸状態であったことが分かること、加えて、旧来の「秩父街道」、すなわちぶな峠から刈場坂峠を経て七曲り峠から芦ヶ久保に下りる道が明記されていることです。

秩父街道については、これ以前の地図においても確認することができ、加えて、これ以前の地図においてもぶな峠や大野峠の名称を確認することができたので、ぶな峠や大野峠が稜線上の古くからの主要な峠であったことが分かります。裏返せば、刈場坂峠の名称が新しいものであるということになります。

また、刈場坂の集落から沢をつめて刈場坂峠に至る道も記されており、この道を昭和9~11年頃に奥武蔵高原スキー場に向う人々が歩いたのだろうと思います。また、スキー場の第一ヒュッテの位置も想像がつきます。

2014110603
この地図は、国土地理院発行の5万分の1地形図(秩父)を使用したものである。

下の図は、「刈場坂峠」の表記が最初に現在の位置になされた5万分の1地形図「秩父」(昭和42年補測調査版(昭和44年3月30日発行))の一部です。

この時点に至っても奥武蔵林道(奥武蔵グリーンライン)は表記されておらず、前版の地形図が発行されてから10年を経ないうちに、稜線上の植生が大きく変化していることが分かります。加えて、等高線の図化の技術が格段にアップしていることも見て取れます。

2014110604
この地図は、国土地理院発行の5万分の1地形図(秩父)を使用したものである。

以上が主な調査結果です。苅場坂の表記は峠の名称としても地域の名称としても確認できませんでした。また、現在も横瀬町内にある地名「苅米」の表記は、5万分の1地形図「秩父」の初版(実際の名称は「秩父大宮」)である明治40年測量版から継続して確認することができましたので、活字がない等の問題ではないことも確かです。また、読みについては担当の方に伺ったところ、読みが確認できるのはデジタル化以降のものであって、この時代の地形図上の地名等の読みについては、国土地理院に資料として保存されていないとのことでした。

今回の調査結果から、数々の資料で見てきたとおり、刈場坂峠は古くからある峠名ではなく、前の記事で引用した都幾川村『昭和35年度調整 基本計画書』(1960)の記載からもわかるように昭和35年頃に一般に認知されるようになった呼び名ということで良いのだと思います。

« 刈場坂峠(苅場坂峠)その11 | トップページ | 刈場坂峠(苅場坂峠)その13 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 刈場坂峠(苅場坂峠)その11 | トップページ | 刈場坂峠(苅場坂峠)その13 »