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2014年11月 5日 (水)

刈場坂峠(苅場坂峠)その10

飯能市市勢要覧等

飯能市立図書館で閲覧できる「市勢要覧」と「社会科副読本」の全部を2010(平成22)年6月に調べてみました。数ある行政資料の中で「市勢要覧」と「社会科副読本」を選んだ理由は、経年変化が把握できる可能性があることと掲載してある地図の作成が自前のことが多く地名へのこだわりが読み取れる可能性があるからです。他の計画書等の地図は国土地理院の2.5万図や市発行の国土基本図がそのままコピーされて使用されることが多いように思います。

閲覧結果は下の表のとおりです。空欄は資料が発行されなかったか、あるいは図書館に保存されていないもの、「-」は資料はあるが記載がないもので、「刈」は刈場坂峠、「苅」は苅場坂峠を示します。社会科副読本2は「住みよいくらし」という題名のものです。

2014110501

時間をかけた割には資料数が少ないのですが、どんなに遅くとも飯能市においては平成4~5年頃に「苅場坂峠化」の流れが始まったように思われます。編纂が進んでいた飯能市史では昭和61年発行の『飯能市史資料編11地名・姓氏』のなかで苅場坂峠としていますし、昭和63年発行の『埼玉県行政史第4巻』などに代表される苅場坂峠の表記が徐々に一般にも浸透してきた頃なのではないかと思います。

ちょっと脱線しますが、昭和35年の社会科副読本はすごいと思いました。まずは表紙。題字が飯能市を代表する書家である大野篁軒先生の筆になるもので最初から圧倒されます。内容も充実しており、大字「あしかりば」の表記を唯一「芦苅場」としている優れものです。残念ながら刈場坂峠に関する記載はありませんでしたが、飯能市及び名栗村の範囲を、奥武蔵高原あるいは外秩父の南部と記しており、奥武蔵に高原が付くことと、飯能市や名栗村の山間部も外秩父であるとの明快な認識に驚きました。

話を戻して、市勢要覧の平成22年版は当時図書館のカウンターに閲覧用として置いてあったのですが刈場坂峠と記されており、また、現在飯能市のHPで閲覧できる市勢要覧は平成24年度版(平成24年12月発行)のもので、やはり刈場坂峠となっています。平成4~5年ごろから続いていた飯能市での「苅場坂峠化」の流れが一気に弱まったように思えます。

これに関連して飯能市立図書館の文化新聞閲覧システムを使って文化新聞の記事を検索していて非常に興味深い記事を見つけました。
1981(昭和56)年3月18日号「論議呼ぶか くさかんむり 登記簿には芦苅場 慣習的には芦刈場」という記事で、飯能市の行政では、大字である「苅生」は「刈生」とせず「苅生」と表記しているが、同じく大字である「芦苅場」は「芦刈場」と表記してきている。昭和53年頃から住民基本台帳担当部局が登記にならって新しく作成する書類は「芦苅場」としてきていることが書かれており、(引用開始)広報係では「今後の書類は”苅”に統一していく」と断言しているが、当事者である住民が、二十年来の馴染みの表示からスンナリ乗り換えるかどうは多少の疑問を抱くところ(引用終了)と結ばれています。それから33年6か月を経た2014(平成26)年11月4日現在のグーグルでのWeb検索ヒット数は「飯能市 ”芦苅場”」が32,300件、「飯能市 ”芦刈場”」が991件で圧倒的に「芦苅場」が多くなっています。

芦苅場の事例は苅場坂と刈場坂の関係に良く似た事例です。現在のネット上での芦苅場の定着状況を見ると歳月の重さを感じずにはいられません。一方、芦苅場と苅場坂のケースを比較してみると、当時と今では社会情勢が大きく異なっていることや直接に関係する住民の数に加え、住所や土地の表示として日常的に使う大字(芦苅場)と、通常は表示されることが少ない小字(苅場坂)では生活への密着度が全く違うなどの差があるのだろうと思います。加えて刈場坂峠は昔からの地名ではなく昭和初期に武蔵野鉄道によって作られた地名であり、登記に使われる地名でもありません。刈場坂峠の「苅場坂峠化」を考えるとすれば、行政上の必要性、刈場坂峠の呼称の成立過程、刈場坂峠の社会全般への浸透度、地元の考え方、刈場坂峠が2市町の境界に所在していることなどを総合的に考えなければならないのだろうと思います。

※ 2015(平成27)年5月25日追記
先日芦苅場の「芦刈場自治会館」の看板をみる機会がありました。いろいろと地元の方にお話を伺ってみると、現在でも地元では芦刈場も日常的に用いられているとのことでした。

2015052308

--------------------追記終了

ところで、実際の整備は都市再生機構が行ったもののようですが飯能市の都市公園「あさひ山展望公園」の日時計を取り巻く通路に展望方向を矢印で示す石標が設置されています。下の写真はその内のひとつ「刈場坂峠」です。整備の経緯はともかくも近年になって飯能市の都市公園の中にできた石に刻まれた刈場坂峠の文字とその方向を示す矢印です。

2013050603

最後に、刈場坂峠関係の調査では飯能市立図書館を始め飯能市役所の皆様に大変にお世話になったのですが、2010(平成22)年7月5日に飯能市郷土館に刈場坂峠の表記と呼称について問い合わせたところ、約2か月を経て丁寧な回答をいただいています。回答としては、近現代に関しては当方調査済みの史料以外に参考となる史料がないようで、同館所蔵(寄託)の古文書(検地帳等)を確認した結果、苅場坂峠(刈場坂峠)等の記載を確認できなかったとの内容でした。学芸員の方にはお忙しい中にもかかわらず時間を割いていただきありがとうございました。

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