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2013年7月28日 (日)

甲府城跡の謝恩碑

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今日は、山梨県甲府市の甲府城跡にある謝恩碑を見てきました。

謝恩碑はオベリスクのような大きな碑で、1911(明治44)年に山梨県内の御料林が県に下賜され県有林となったことを記念して、1920(大正9)年に建てられたものです。

以前、西沢渓谷を訪れ森林(トロッコ)鉄道について調べたとき、山梨県内には国有林がほとんどなく、西沢渓谷の森林鉄道も県有林内の木材を運び出すためのものであったことを知りました。

また、犬切峠から藤尾山と石保戸山に登り御料局三角点を確認したときには、山梨県内の入会地が御料林となったいきさつや、御料林が県に下賜されて県有林となったいきさつなども知ることができ、その頃から甲府城跡の謝恩碑をぜひとも見てみたいものだと思い始めたのでした。

山梨県の現在の県有林の状況については県のあらまし2013年版が参考になります。

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謝恩碑に近づいてみると東側に元帥公爵山縣有朋の碑額があり、裏側には県知事撰文の碑文があります。碑については碑文の内容を含め2013(平成25)年1月10日から公開されている復元された鉄門(くろがねもん)の脇に案内板が設置されており、その要旨(碑文の内容を除く)は以下のとおりです。

  1. 碑の建設は1917(大正6)年12月から1920(同9)年12月まで3か年、当時の金額で99,528円を費やして行われ、碑の材質は東山梨郡神金村(現甲州市)産の花崗岩。
  2. 碑の高さは約18.2mで、碑はオベリスクを、台はパイロンと呼ばれるこれも古代エジプトの神殿の入口に設けられた搭状の門を形どっている。
  3. 総高は約30.3m、碑本体は下部約2.1m、上部約1.8mと一辺の長さが上部ほど細くなるように10個の碑石を積み(約15.8m)、その上に高さ約2.4mのピラミッド型の方維体をのせている。
  4. 碑台は一辺約9.4m、高さ約7.4mで、台座は一辺約16.1m、高さ約1.1mの本台座とその下部に副台座がある。
  5. 敷地は東西約24.5m、南北約33.6mで、面積は約823平米。

なぜこの場所に建てられたかについては、たまたま近くにいた博識の方のお話では「謝恩碑なので見下ろすような低い位置には設置しずらかったのでは・・・」ということで何となく納得です。

続いて甲府駅前の「武田信玄公之像」を見に行きました。裏面の銘板の記載によれば、この像は1969(昭和44)年4月12日に除幕式を行ったもので、像の高さは3.7m、重さは5トン、材質はブロンズ、台座の高さは3.1mで、材質は塩山市(現甲州市)神金産の御影石とのことで、さきほどの謝恩碑と同じです。

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続いて武田神社(躑躅ヶ崎館跡)に行って見ました。周囲の堀の水は用水としても利用されているようですが、ハクチョウ、アオサギ、コイ、そしてアカミミガメ・・・等がいました。

こちらの神社正面の入口(南側)の前にある土産店で売っていた信玄アイス(バニラ味のアイスにきな粉と黒蜜がかかっている)@300円が美味しかったです。まっ、言ってみれば信玄餅の餅がアイスになっただけなんですが・・・美味しかったです。

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下の写真は東側の入口です。この入口のさらに東側には文化財としての躑躅ヶ崎館跡の案内板があり、厩の跡なども確認できます。またハスの花が咲いている池もありました。

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その後甲府市内で昼食をとり、八ヶ岳南麓まで足を延ばしてきました。八ヶ岳はガスっていたものの、反対方向には牧草地のかなたに金峰山が見えました。

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これで帰路につきました。帰りは野辺山から国道141号線や長野県道2号(川上佐久)線を使って国道254号線へ。下仁田から上信越道にのったのですが、関越道が35キロ渋滞とのことで藤岡PAで休憩。結局関越道を途中であきらめ一般道に降り牛丼を食べていると・・・同業他社の方にバッタリ。やっぱり世の中はせまいです。

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