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2012年1月 7日 (土)

奥武蔵グリーンラインの歴史

以前「奥武蔵グリーンライン」の名称の由来や範囲について調べたことがあり、その結果をこのブログ上に掲載していたのだが、その後の経緯を踏まえ、今回改めてカテゴリー「210奥武蔵林道」として整理し直すこととした。

現在、奥武蔵グリーンラインという名称は広く用いられてはいるものの、その範囲のとらえかたは様々である。この記事では、一つの試みとして奥武蔵グリーンラインの範囲を資料に基づいて探ってみたいと思う。

最初に取り上げる資料は、埼玉県「埼玉県総合振興計画」(1963(昭和38)年)である。この計画には観光開発道路としての「奥武蔵グリーンラインコース」が位置づけられている。

この計画での奥武蔵グリーンラインの位置づけは、飯能と秩父を結ぶ国道299号線(歴史的な意味での「吾野道」)の枝線的観光開発道路であり、第1次計画(計画年度は1962(昭和37)年度から1970(昭和45)年度)で、下図のとおり「正丸峠-刈場坂峠-大野峠-丸山-堂平山-定峰峠 総延長20km 幅員4.5m」を整備することとしている。

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路線図を見ると、第1次計画には、林道苅場坂線、林道奥武蔵1号線、林道奈田良線、大野峠から丸山までの丸山林道の一部、白石峠から堂平山に向かう林道堂平山線、白石峠から大野に至る県道大野東松山(172号)線の一部が含まれている。

この内、路線としてのつながりや、次に取り上げる新聞記事の内容等から考えて「奥武蔵グリーンライン」と呼ぶに相応しい路線は、苅場坂線、奥武蔵1号線、奈田良線の3路線、延長13,784mである。

昭和38~40年度施工 奈田良線(定峰峠~白石峠) 2,740m

昭和40~42年度施工 苅場坂線(子の神戸~刈場坂峠) 5,620m

昭和41~42年度施工 奥武蔵1号線(白石峠~刈場坂峠) 5,424m

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次に資料として取り上げるのは、1968(昭和43)年5月9日付け埼玉新聞(1頁)の「奥武蔵林道 明日待望の完成式 観光開発へ第一歩 “グリーンライン”の布石に」という見出しの記事である。

この記事のリードには「さる38年度から建設を進めていた奥武蔵林道(飯能市子の神戸~東秩父村定峰峠17.625キロ)のしゅん工式が、あす10日午前11時から、苅場坂峠(飯能市・都幾川村)で行われる運びとなった。(中略)同林道は、奥武蔵グリーンライン(仮称)として、将来、観光道路に生まれ変わる”布石”として誕生したもので、無限の夢を秘めている。」と記されている。(延長は、当方が用いた埼玉県の資料※と異なる。)

また、この記事の本文には「観光ルートの開発構想として、県総合振興計画にもあげられている奥武蔵グリーン・ラインも、実はこれらの林道と既設道路等を利用するもの。長瀞付近から釜伏峠をへて、定峰峠に至るAコース、正丸峠から定峰峠に至るBコース、正丸峠から鎌北湖に至るCコースと合わせたルートである。Bコースは、すでに林道ができ上がっており、Cコースは奥武蔵林道の第二期工事に当たる部分で、Aコースが課題として残されている。観光道路建設となると主管は県企業局となるが、同局では、Aコース部分の基本設計の調査を本年度に実施したい意向を持っていたが、これは林道ではなく、本格的観光道路の建設となると、29億円の巨費を要し、基本設計の調査だけでも、1千万円の単位の調査費も要するなどといった理由で、予算化は見送られた。さらに、これまでにでき上がった奥武蔵林道を観光ルートのグリーン・ラインとして衣替えするには、なお、諸々の条件があって、はっきり煮詰まっている段階ではない。」と記されている。

これら2つの資料に加え、その後の奥武蔵グリーンラインに関する計画等が見当たらないことを考え合わせると、奥武蔵グリーンラインの範囲が曖昧となってしまった理由が分かる。

とはいえ、現実的な解釈としては「奥武蔵グリーンライン」とは県営奥武蔵林道のことであり、整備順に奈田良線、苅場坂線、奥武蔵1号線、林道奥武蔵2号線(11,768m)、林道権現堂線(8,081m)の5路線(合計33,633m)を指すと考えるのが妥当なのではないかと思う。

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※ 農林部森づくり課「森林・林業と統計 平成20年度版」(2008(平成20)年)
   寄居林業事務所「寄居林業事務所30年のあゆみ」(1987(昭和62)年)

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