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2010年5月

2010年5月22日 (土)

七曲り峠

今日は朝からの仕事を済ませてお昼近くにロードバイクで出発。まずは高坂を目指す。

都幾川に架かる高野橋からピオニウォーク東松山を見る。遠景は物見山方面。埼玉平和資料館や大東文化大学の建物がうっすら見える。

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吉見町役場に到着。どこに行っても役場を見かけると道路元標はないかと一回りしてみるようにしているが、やはり新しそうな庁舎でもあり見つからなかった。

経緯度標(吉見町公共測量基準点)があった。後ろの建物は吉見町役場であるが、建物の表示は「吉見庁舎」であった。珍しい。

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さらに北進。きーじぇいさんの「散策風土記」を参考にm(__)mさせていただいた「名代四方吉(よもきち)うどん」で昼食にする。「フレサよしみ」という大きな建物を目標にすれば否応なく到着できる場所にある。

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中に入ると非常に混んでいたが座れた。店員さんの元気な声が響いている。肉玉うどん@700円を注文。

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うどん自体の見た目は鬼のうどんか?という程太い。固そうなイメージがあるが柔らかいので良かった。盛の量が伝わらないのが残念であるが、通常ではとても並盛とは思えない量である。当方の感覚では6割くらい食べた時点で満腹感が訪れ始める。その後は、別腹を探しながらゆっくり食べる感じである。サイドメニューとして、きんぴら@250円などがある。これも食べてみたが美味しかった。味、量、価格から考えればお客さんが大勢いるのがうなづけるお店であった。

自転車のレストア工房の辺りを走って吉見百穴を目指す。入場料@300円は支払わず外から見学。まっ・・・何度となく見学させていただいた経験があるので・・・(^^

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お山を目指す。東松山市と嵐山町境の都幾川に架かる月田橋から上流方面を見る。バーベキューなどの車がいっぱいである。

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ときがわ町に入り高篠峠を目指して進む。今年は当方のブログに初登場のシャガである。

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白石峠TTスタート地点を直進し3.3キロ、上り184m、所要時間28分3秒で森林管理道大野峠線の起点に到着。

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ヒーコラ登る。3.9キロ、上り304m、所要時間33分45秒で高篠峠に到着。「高篠峠」は高篠・定峰集落側から見れば「大野峠」であり、林道大野峠線の竣工記念碑の存在もうなづける。

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案内板は、以前に来たときはホコリやコケなどで汚れていたのだがキレイに掃除されていた。良く見るとグリーンライン上に「七曲り峠」の表示があった。以前から、書物の上では七曲り峠の存在には気付いていたので、今日は、その場所を特定するために上って来たのである。

高校生15人ぐらいのMTBやクロスバイクの集団を抜く。まじめにかつ楽しそうに走っていた。

七曲り峠に到着である。

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位置は、以前の予測どおりで奥武蔵支線のグリーンラインへの合流点から大野峠側に315mの地点である。この峠については記事末の参考文献を参照していただきたい。

刈場坂峠、高山不動と進み、猿岩線を下る。フジがキレイだった。

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しかし、今日は昨日ほどではないにしろ暑かった。水分は1.5リットルぐらい飲んでいる。

---------- 参考文献の引用開始

「都幾川村史民俗編」 秩父への道(169頁)
秩父や横瀬に通ずる道もまた峠越えだった。秩父の町はこのあたりでは一番大きかったが、買い物に行くには遠すぎる距離にあり、秩父に行くといえば十二月の夜祭りのことが多かった。大野と椚平が秩父郡に属していたころには、役場職員やいろいろな役員が会議などで秩父に出る用事もあり、そのときにも近道である峠越えの道が使われていた。(中略)椚平から秩父に行くには、ぶな峠から尾根づたいに西に向かい、大野峠の手前から七曲りという道を下って赤谷に出たのち、横瀬川沿いに秩父に行くのが一般的だった。(後略)

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「増補ものがたり奥武蔵 伝説探訪二人旅」(神山弘・新井良輔共著・1984年・金曜堂出版部)

刈場坂峠を過ぎて、右手に舟ガ沢の都幾川源流を見下ろす地点から反対側の芦ガ久保の谷に下りるのが、越生から秩父を結ぶ秩父街道でした。

----------(2010(平成22)年8月6日追記)

「奥武蔵山と渓のハイキング」(小林玻璃三等・1939年・博山房)

(刈場坂峠の)ヒュッテを辞して、左に虚空蔵峠・正丸峠への径を分ち、暫らく行くと、今度は七曲りを経て仲井(ママ)への径が同じく左手に現はれる。俚称アガリッキリである。この辺から地図(秩父)では尾根の東側を捲く径が、事実は西側を通ってゐる。刈場岳(日蔭ハグレ、八八〇米)を過ぎれば、前面は陣場ヶ平(でら)の旧牧場で(以下略)

---------- 参考文献の引用終了

以上3つの文献から、この位置が秩父街道上の七曲り峠であることが分かる。ぶな峠から来た稜線上のメインルートが秩父の谷に下り始める地点であったということである。なお、花立松ノ峠の附近にも「七曲」があるようであるが、こちらの探訪は後日。

※ この記事の写真は、都合により、すべてオリンパスμ750で撮影しました。

2010年5月 8日 (土)

天測点・子午線標

今日は、堂平山の天測点とツツジ山の子午線標をロードバイクに乗って見に行ってきた。

先日(2010年(平成22)年5月3日)、愛知県の本宮山の山頂で「天測点」を初めて見た。調べてみると、天測点は全国に48か所あり堂平山にもあることや、天測点と対になって数キロ離れた同経度の位置に子午線標があることも分かった。天測点や子午線標の利用目的や使用方法については他のHP等を参照していただきたい。なお、国土地理院HPの検索システムでは、当方の検索では有意な情報はヒットしなかった。

付け加えると、測量法施行規則の別表第一には、「子午線標」と「天測点標識」について、測量標の形状として定められているが、そうは言っても、このハイテクの世の中ではこれらの測量標は役割を終え、実質的には文化財的な意味合いが強い。

ということで、ザックの中にトレランシューズを入れ、日焼け止めクリームを塗りたくってロードバイクで越生に向け出発。

サイクリスト休憩所(観光センター)によって、前回は到着が早すぎてゲットできなかった「梅の里おごせサイクリングMAP」と、坂道に効く「ユズガッツ」と「チョコガッツ」@各150円をゲット。カロリーはユズが305.8kcal、チョコが353.8kcalである。なお、ユズ・チョコガッツの製造元は「社会福祉法人かえで 就労継続支援B型事業所 おごせ福祉作業所」である。

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ツツジが見ごろの五大尊前を通過し黒山方面に向かい梅林から温泉スタンド方面に進む。しばらく前は山桜だったのだが、今はフジの花が山の中に見える。

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県道172号線に出て左折。西平711跡は家具店になりつつあった。7月になるとアイスなども食べられるようになるようである。また、T字路脇の「滝の鼻橋」には、いつ完成したのかが分かる新しい金属製の銘板がついていた。

上り続ける。神送りの神輿があった。

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その脇に、一瞬道路元標を思わせる標石があったが良く見ると「準用河川・・・」と彫ってあった。

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この辺りで、警察の交通事故処理車とパトカーに抜かれた。どこかで事故があったのだと思う。

白石峠を登り始める。気温は28度。中間点(残り3.2キロ)を29分36秒で通過、56分49秒かかってゴール。前回よりは3分くらい速いかな。峠の気温は26度であった。ユズカッツを補給。ガブッといったら美味かった。カロリーメイトみたいにスティック状に2分割していることも判明。まあ、柔らかいので乗りながらではグニャッと行きそうである。

林道堂平山線を上る。天文台の門の所までで、1.7キロ、上り89m、所要時間9分22秒であった。ドームの南側に上る。対空標識の設置された一等三角点「堂平山」標高875.91mである。

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天測点である。本宮山のものとは形状が違う。

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第17号の銘板である。

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南を見る。標石?の右上にツツジ山が見える。

火気厳禁の看板は・・・・・趣旨は分かるけど・・・・・一応文化財として取り扱って欲しいかなぁ・・・とか思う。

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堂平山を下りる。白石峠から高篠峠と進む。川越市山の家の入口の電柱にハチがブンブン群がっていた。足掛け用の金具をねじ込む穴から出入りして巣を作っているようである。

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大野峠に到着。現在の丸山(かつての大丸)と小丸(正丸)の解説板を読む。

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刈場坂峠に向かう。刈場坂峠でSPD-SLをトレランシューズに履き替え、山登り開始。この指道標の所から山道に入る。

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ツツジ山の山頂に到着。山頂には三等三角点「正丸」標高879.11mがある。所要時間8分12秒。

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子午線標を探し回る。所要時間16分57秒で発見。反対側からツツジ山に登り始めれば何のことはない場所にある・・・・・・orz

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第17号の銘板である。

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北を見る。林の間から堂平山の天測点のある芝生広場が見える。手前の黒い部分が子午線標の上端である。

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2010(平成22)年6月7日追記:子午線標の位置はここである。堂平山からの直線距離は約4.3kmである。

刈場坂峠に戻る。チョコガッツを食べる。SPD-SLに履き替えて出発。猿岩線を下って帰路に着く。途中山ツツジがきれいであった。

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甚五郎に寄り、ぶっかけうどん@900円+中盛@100円-サイクリスト割引@100円を食べる。量も十分で美味しかった。

※ ツツジ山の呼称については、歴史的に考えれば大いに議論があるものと思われるが、現地やガイドマップの表示にしたがった。

※ この記事中の三角点の点名及び標高は国土地理院の基準点成果等閲覧サービスから引用したものである。

2010年5月 3日 (月)

作手高原サイクリング

今日は作手(つくで)高原をロードバイクで走ってきた。

作手高原という呼び名は一般的ではないのかもしれないが、愛知県南設楽郡の旧作手村、現在は合併後の愛知県新城(しんしろ)市の一部である。標高は旧村役場の位置で550m程度であるが、新城市街から九十九折の急坂を登っていくと一気に水田などの平地が広がっているので、あまりに慣れない景色の展開にビックリする場所である。

本日のルートは下の地図のとおりである。(※画面全体で見たい場合には、ルートラボ枠内の「作手高原サイクリング」をクリックすると地図が別窓で開きます。その場合、Microsoft Silverlight のインストールを求められる場合がありますので御留意ください。)

鬼久保ふれあい広場の駐車場に車をデポして出発。鬼久保ふれあい広場は、東秩父村のふれあい広場と比べると、非常に大きな規模である。

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かつて有料道路であった本宮山(ほんぐうさん)スカイラインの一部、愛知県道527号(本宮山作手白鳥)線に入る。

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ゆったりとクルクルと登って行く。新緑の山々がきれいである。やがて本宮山の電波塔群が見えてきた。途中、昨晩の交通事故であろうか鹿が息絶えていた。2010050303

本宮山の山頂に自転車を押し上げて到着。三河湾が見えた。山頂には一等三角点「三本宮山」標高789.31mと、八角形のコンクリート製の天測点があった。銘板には「第二二号 天測点 地理調査所」と記してある。帰宅してから調べてみると堂平山にも設置されているようであるが見た記憶がない。ということで初めて見た天測点である。

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奥三河のどこまでも続く山々である。

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本宮山を下る。整った農村風景である。見慣れた景色と比較すると山林や畑の手入れが良くなされており、水田の休耕率も極めて低い印象を持った。それが風景を美しく感じさせる最大の要因なのだと思う。

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亀山城址を通過。パンフレットによれば1424年から165年間に渡り、奥平氏5代が居城し、作手藩1万7千石の本城として栄えたとのこと。

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巴小学校前の電子基準点「作手」標高539.37mである。近くの方の話によればGPS衛星の電波を受信しているため、6か月に1回保守点検が来るとのことだった。

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三河湖に向けて県道363号(作手善夫大沼)線を進む。きれいな林である。作手の地名について、作手(つくで)も読めないが、善夫(ぜんぶ)とか清岳(きよおか)なども読めない。

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三河湖の対岸に渡る橋から上流を見た巴川の渓流である。

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道路上に面白いプレートを発見。愛知県独自のものなのだろうか。初めて見るものである。他にも随所にあった。

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三河湖の羽布堰堤からの眺めである。

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しかし銘板を見てビックリ。何と施工主は当時の農林省で、昭和27年4月着工、昭和38年5月竣工の灌漑用ダムであった。小学校の社会科の時間に愛知県の用水を学んだが、その延長である。深層水?の吐き出しの勢いが強力である。

いつものことであるが、反対側に行くと殉職者の慰霊碑があった。脱帽のうえ殉職された9人の方の冥福をお祈りした。

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たんたんと進む。用水つながりではないが、面白い用排水路があったのでパチリ。当方の進路は車の写っている方向である。

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峠を越え急坂を下ると「孝子甚右衛門の碑」があった。江戸時代に親孝行の息子に殿様が褒美を与えたという碑が建物の中にある。

ここの木陰でコンビニオムスビを食べて休憩である。とにかく暑い。

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本日一の激坂を下った所の集落である。写っている建物は、この辺りの典型的な民家である。作手の歴史民俗資料館の展示によれば、愛知県から静岡県にかけては流域別に民家の屋根の形が3類型に分類できるとのことであった。

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ということで、上の写真の集落が「けろ」である。孝子の碑がある集落が「うつぎ」である。ふと、いつものテリトリーに帰ってきたような気がした。

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林の中を走る道の道端に咲いていた花。何という名前だろう?

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田圃と旧千万町(ぜまんじょ)小学校(2010(平成22)年3月31日閉校)である。この辺りは小規模の学校が点在しており、必ず二宮金次郎像があるイメージである。例えは適切かどうかわからないが、地形的に見てもお隣同士が小川町大字下里・・・という感じだろうか。

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いよいよ本日一の獲得標高となる「くらがり(闇苅)渓谷」である。道路上の青色案内標識は「闇苅渓谷」で統一されているように感じた。

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レストハウスくらがりで、ざる蕎麦@550円を食べる。

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ヒーコラ坂を上って行く。激坂などということはないが暑い。3UPジャージの自分をパチリ。

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道端にコンニャクのようなものが何箇所も生えている。本宮山スカイラインにもあった。何だろう?

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坂を上りきる。スタートした鬼久保ふれあい広場の看板のところに出た。車をデポした駐車場に戻る。ポラールの値では、走行距離75.3キロ、獲得標高1,355mであった。ポラールの走行距離はウロウロしている分を含んでいるのだと思う。斜距離は・・・?

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旧鳳来町の湯谷(ゆや)温泉の日帰り入浴施設、新城市営「鳳来ゆ~ゆ~ありいな」に行く。入浴料@600円、タオル@200円であった。

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帰りがけに長篠城址に行く。「長篠合戦のぼりまつり」の準備がなされていた。城址では内堀の跡なども確認できる。お祭のためか、武田方の陣であった山の上にも幟が立っているので、かなりの臨場感があった。戦国時代の合戦って、こういう距離で布陣していたんだぁ・・・とか思った。

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本宮山の夕焼けである。こう見ると、作手高原の標高をお分かりいただけるかも知れない。

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本日も終わってしまった。だいぶ日に焼けた。後は眠るだけである。

※ この記事中の三角点及び電子基準点の点名及び標高は国土地理院の基準点成果等閲覧サービスから引用したものである。

※ 2010(平成22)年5月5日記す。

2010年5月 1日 (土)

佐久探訪

良い天気であった。

長野県佐久市にある旧中込学校。案内板によると、現存する我が国最古の洋風学校建築物。1875(明治8)年完成。

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麦草峠遠望のつもり。カシミール3Dで確認すると実際には見えていない(^^;

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安曇幹線162号鉄塔。長野県南佐久郡小海町大字千代里地内。

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八ヶ岳。長野県南佐久郡南牧村大字海ノ口地内の国道141号線から撮影。

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国立天文台野辺山宇宙電波観測所(ミリ波干渉計)。

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日本鉄道最高地点。

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北岳。

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富士山。

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清泉寮。

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以上で終了である。

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