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2010年3月21日 (日)

黄砂

今日のキーワードは絶対に黄砂である。

朝方の寒冷前線の通過による雨もやんだのでロードバイクで出発。まずは、先日の雪による倒木の惨状がブログ等に掲載されていた宿谷権現堂線に向かう。

地元の方の御努力の賜物か、本日現在、倒木1本、倒竹3本程度で通行に支障はない。

権現堂線に入ると、こんな感じ。寒冷前線の通過の影響か台風の後のような光景である。枯れた杉の葉が道路一面に広がっている。花粉症の方が見たら卒倒するに違いない。

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グリーンライン方面は小枝と杉の葉で大変な状況かなぁ・・・と思い中野線にエスケープ。奥多摩方面を見ると黄砂で霞んでいるのが見える。関の入線に入るとこんな感じ。ロードバイクではストレスフルな状況である。

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国道299号線に出て吾野方面に進む。途中、東吾野の手前で工事をしていた。仮橋工の工事である。準備してある資材と、ズリの品質から何を考えているかはある程度見当がつくが、考古学者によって発掘されたかのように見える石垣がおもしろい。

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しばらく進むと左側に「鎌倉橋」が見えた。中津川林道にも鎌倉橋があったが、なぜ「鎌倉」なのだろう? そして、なぜ随所にあるのだろう?

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昨日に引き続いてタヌキが出没。手作り感がいい看板である。

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続いての写真は、1993(平成5)年3月に閉校になった飯能市立南川小学校である。桜の位置と校舎の位置を考慮して、桜が咲いていたらこんなアングルかなぁと思って撮影。

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校庭の片隅には二宮金次郎像があった。母がよく「兄弟仲よく孝行つくす 手本は二宮金次郎」と歌っていたのを思い出す。

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いよいよ子の権現に向けてスタートである。残りは3キロであるが倒木や除雪された雪の残りもあり、前途多難を想像させる。

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途中、権現堂線と同様に杉の葉を路面に敷きつめたような状況もあり、かなり難渋。しかし、絶対に足付きをしないぞ~という決意のとおり上り切った。3.1キロ、獲得標高298m、平均勾配9.6%である。

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お参りをする。お賽銭を入れ、500円を納めてローソクを立てる。祈願する内容が予め書いてあるので、せっかく子の権現まで上がってきたので「足腰強健」を選ばせていただいた。御利益のためには記名する必要があるようなので「Kac3」と書いておいた。

なお、本堂の前はコンビニより滑りやすいのでSPD-SLの方は要注意である。

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境内では電線が切れそうな状況もあり、今後とも倒木処理が必要なようである。加えてその他の部分でも、かなりの雪害が明らかで大変なことだと思う。

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子の権現から見た黄砂で霞む山々である。

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下りは原市場方面に下る。例の激坂(延長約250m、平均勾配17%超)はこんな感じ。さすがに、軟弱かもしれないが押しで下った。

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下っていくと動物注意の警告標識があった。シカの図柄の蛍光の標識である。 イノシシではインパクトないし、やはりシカだろうか。でも30年前に中藤(=地名)にシカはいっぱいいたのだろうか?

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県道に出て、少し名栗方面に走り「むさしの」で昼食。味噌ラーメン@650円と餃子(5個)@350円を食べる。美味しかった。

入間川右岸に渡り飯能を目指して下る。矢久橋のたもとのグラウンドである。

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矢久橋下流の白色の凝灰岩の露頭である。入間川に洗われて、飯能れき層の比較的下部にある凝灰岩が出てきたものとの埼玉県の案内板があった。案内板を読んでいると、地学の授業を受けているような感じがした。

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そして最後の目的地、飯能市浄化センター(下水処理場)である。目的は、もちろんアメダスの観測施設を確認するためである。

しかし、予想はしていたのだが・・・立入を断られた。確かに、エアレーションタンクにでも落ちれば即死亡なので、断られるのが当然の成り行きである。

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しかし、ちょっぴり残念なので外周を走り、外から写真を撮影。気象観測の施設である。下水処理場は、活性汚泥を元気にして処理を適切に行うための気温観測や、不明水(=流入下水に含まれる雨水)の量を把握して処理時間を調整するための雨量観測などを常に行ってるので、これがアメダスのものかどうかは不明。

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わざわざ施設管理者の許可を得るのも大変だろうし、市民見学会にでも入れてもらうのが大人の対応だと思う。

しかし、今日は黄砂のすごい日であった。

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コメント

いつも楽しく見ています
父親の実家が鎌倉橋を渡ったところにあります。
地元では「いざ、鎌倉」という言い伝えがあります。
合戦のときは、村々から駆けつけ、山道は鎌倉街道とも・・・・
地元の古文書にはその頃の家系図とか残っています。

目からウロコのコメントありがとうございます(^^)
この辺りの299、鎌倉時代は「鎌倉街道(秩父道)」ということで、鎌倉橋を渡って進む山道が本来の鎌倉街道・・っていうことだったんですね。納得です。

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