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2010年3月 6日 (土)

鎌倉街道上道

今日は、鎌倉街道上道(かみつみち)を探訪してきた。鎌倉街道上道は、幕府のあった鎌倉と各地を結んでいた街道の一つである。

この頃は、日の出が早くなったので、6時頃には明るくなっている。しかし曇天。Webでよく見る天気予報を確認すると、一方は6時から雨、もう一方は9時から雨・・・となっている。

しばらく様子を見てみるが降る様子がない。ということで決意を固め(ちょっと大袈裟)、MTBに乗って出発。

前回は、坂戸市から南に狭山湖・多摩湖方面に鎌倉街道上道を結構走っているので、今回は坂戸市(高麗川)から北を探訪することにする。

探訪に当たっては、埼玉県内の鎌倉街道上道についての網羅的HP、道・鎌倉街道上道(埼玉編)を参考にさせていただいた。

走り出すと、このところ「剱岳 点の記」のDVDを繰り返してみているので、夏八木勲の声で「のうまく さんまんだ ばさら だんせんだん まかろしゃだ そは たや うんたらた かんまん 」と頭の中で不動明王の真言※が繰り返し回りだす。法事などで「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん」という光明真言に接する機会の方が圧倒的に多いのではあるが・・・。

ところで、靴はトレラン用のシューズを履いているので、底が固くて漕ぎやすい。下着はアンダーアーマーであるが、胸の所がジッパーで開かないタイプなので、暖かくなってくると体温調整がしずらい感じがある。

ということで、高麗川にかかる森戸橋を渡り、河岸段丘の下にある馬頭観音に到着。地元の「市場村 大家村 念佛講中」と刻まれており、寛政7(1795)年のものである。

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高麗川の河岸段丘を登る切通し。

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その後、ほぼ道を辿ることができるが、葛川を渡ってしばらく走って行き止まり。元に戻って迂回する。

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更に北進する。平地林の中を進んでいくとヌルデの木があった。祭具などを作るのに用いられる。

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県道39号(川越坂戸毛呂山)線を横切る。

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良い雰囲気の道である。

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越辺川に到着。中央のブロックの右岸側に魚道がある。案内板によれば、アユ、ウグイ、オイカワ、カマツカ、アブラハヤなどを遡上させるためのものらしい。

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少し、経路を外れて、埼玉県指定旧跡苦林野(にがばやしの)古戦場を訪れてみる。前方後円墳の後円部の墳丘上に、江戸時代に建てられた追悼碑がある。自転車のある側が前方部である。生まれて初めて、被葬者には恐縮だが前方後円墳に登った。

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---------- 2010(平成22)年3月10日追記

後円部の追悼碑の写真である。

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現地にある案内板には追悼碑と記してあるが、千手観音が彫られた七夜待塔であると言われている。背面には1363(貞治2)年に戦いがあったことが記されている。

---------- 追記終了

更に北に向かう。気象庁の気象衛星センターのパラボラアンテナが見える。このアンテナは物見山近くの地球観測センターのアンテナとは、同じ埼玉県比企郡鳩山町内ではあるが、まったく別の場所にあるものである。

2010030609

この辺りで、雨を感じるようになってきたので、探訪を中止して急いで帰路につく。

今日は、天気にせわしさを感じたが、梅の花の香りが良い日であった。続きは後日である。

※ 当方には、このように聞こえている。

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コメント

今度は南方向を探訪してくださいね。
狭山市には、足利基氏が東国を治めた入間川幕府があったと聞きますが、
鎌倉街道は、僕の家の前を通過することになります。
伊利麻路の面影なんてまったくない、ありふれた県道です。

コメントありがとうございます。
柏原の工業団地から信濃坂を下り、新富士見橋を渡って道なりに進み、八幡神社の脇の坂を上り、市役所の前を通って、郵便局の脇の交差点に出て、旧鎌倉街道である県道50号(所沢狭山)線を入曽まで走ったことはありますが、「入間川幕府」は知りませんでした。今度「たけきよ城」とともに探訪してみますね。
※2010(平成22)年3月10日追記:調査してみました。足利基氏って苦林野古戦場での戦(いくさ)の一方の当事者だったんですね。

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