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2009年10月15日 (木)

原三角測点

大正元年11月15日、陸軍特別大演習が始まった。天皇陛下の行在所(あんざいしょ)は旧制の埼玉県立川越中学校(現在の埼玉県立川越高等学校)。大演習は松山から川越、所沢にかけての武蔵野一帯を中心として繰り広げられ、北軍、南軍を併せて10万人という大規模なものだった。

と書いてみても、その当時生きていた訳でもなく、「大正元年特別大演習計畫」の二次資料からの引用である。

その1か月前、陸地測量部から縮尺5万分の1の地図が発行された。「大正元年十月十五日印刷同月十八日發行 自一号至四号壹組 定價四拾五錢」である。その地図の第四號の図幅には、川越、所沢、立川、飯能、八王子などの区域が含まれている。現在の飯能市附近の地図が下の写真(クリックすると別窓で拡大)である。大正元年は1912年なので、この地図は印刷されてから今日で97歳になったことになる。
(蛇足:年齢計算ニ関スル法律を厳密に解釈すると昨日の24時で97歳。)

2009101501
この地図は、陸地測量部発行の5万分の1地形図(図名なし)を使用したものである。

きっと、この地図が大演習に使われたのだと思う。ちょっと脱線するが、役場の位置がおもしろい、大正元年に、どこに町村役場(当時は飯能も川越も所沢も八王子も「町」である。)があったか一目瞭然。大正初期に設置された道路元標を探すにはまたとない資料だと思う。

現在の飯能市附近を見ると、八高線も西武線もなければ、宮沢湖もない。巾着田の彼岸花が咲いている辺りは桑畑。雙柳(双柳)の東は山また山。飯能町役場の位置などはまったくの想定外。

さて本題である。この地図の三角点を見ていると、現在、国土地理院が設置している三角点とほとんど?同じ位置にある。

ところが三角点は陸地測量部が設置したものが最初ではなく、明治17年の参謀本部移管以前は内務省の所管であり、その時代に設置された三角点(原三角測点)が3か所現存して(現存が確認されて)いるのだそうである。場所は、東京都の最高峰である雲取山、新潟県の米山(当方には因縁浅からぬ山)、そして御荷鉾スーパー林道北側にある白髪岩(しらがいわ)である。国土地理院の2.5万図での位置は ここ である。

ということで、プランは固まったのである。ヤブコギと地図読みは問題ないのだが、熊が恐い。熊鈴を付けること自体が良くないこととするサイトもあるが、熊鈴をつけた方が良いとするサイトが圧倒的に多数派である。加えて、朝と夕方の時間帯を避け、更に単独行動を避けるのが秘訣らしい。どうしたものか? 熊のいる所にわざわざ行こうとしなければ悩ましい問題は発生しないのではあるが・・・。

まっ「いい年こいて危ねぇ~ぞぉ~」とか言われちゃいそうですけど、MTBのペダルをフラットペダルに替えて・・・行きませんかぁ?

※ 当方の白髪岩にある原三角測点の探訪記事はこちら

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