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2009年9月

2009年9月29日 (火)

巾着田

今日は、昨年の秋以来の胃カメラの日であった。しかし、胃カメラを飲む、いや、無理やり押し込まれるのは嫌なものである。とは言え、命には替えられないので我慢々々。

終了後、少し時間があったので巾着田の曼珠沙華(彼岸花)を見に行ってきた。駐車場の入口には、「花の見ごろはもう終わり」という意味の掲示があったが、ガードマンは大勢いるし、駐車場にはたくさんの車が見えるし・・・平日とも思えない賑わいであった。

近くの満席状態のお店で食事。

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確かに盛りを過ぎてはいるが、ぎりぎりセーフって感じだろうか。巾着田内のテント村?には日高市内一円のお店が売店を出している。なぜか玉こんにゃく@150円が美味しそうに見えたので食べてみた。美味しい。龍勢ヒルクラのゴールでもらえるのより玉が大きい。その他加藤牧場のジェラートとか・・・いろいろある。中央に休憩所もあるので、ここで食事にすれば良かった・・・と思ったが、後の祭り。でも、花の最盛期の土日でもあれば、すごい人出で、そんな悠長なことは言ってられないのかも・・・とか思った。

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巾着田の中には馬の牧場がある。ニンジン@100円を売っている。馬にくれてみた。馬はニンジンが大好物である。ガブッと来ないように手のひらを開いて、その上にニンジンを乗せてくれるのがコツである。馬の口は、柔らかくて暖かい。この感触を知っている人は少ないだろうなと思う。まっ、何度もくれてると手のひらが馬のヨダレだらけになっちゃうけど、いずれにせよ目がかわいいと思う。

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2009年9月28日 (月)

東吾野村道路元標

先日、中津川林道を走りに行ったとき、往復とも車で国道299号線を走った。前回、自転車で探訪して発見することができず、リベンジを誓った「東吾野村道路元標」を、その途中で見てきた。

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所在地は、飯能市大字井上地内である。目標とすれば、いるま野農業協同組合東吾野支店で、その西側の国道299号線沿いである。

所在地番等を検証すると、そもそもの大正時代の設置場所からほとんど移動していないものと思われる。また、元標の左右に昭和51年4月に新たに刻んだ文字があるために、全体を新調したのではないかとも考えられるが、もろもろの事情を考慮すれば、大正時代に設置された道路元標そのものと思われる。

なお、東吾野村役場の所在地(未確認)、飯能市役所東吾野支所(現在の出張所ではない)の所在地、東吾野村農業協同組合の所在地(未確認)、飯能農業協同組合東吾野支所の所在地、大正中期の村長の住所等も調べてみたが、これらの機関等が、現在の道路元標の位置にあった事実は確認できなかった。

2009年9月27日 (日)

中津川森林鉄道

2009(平成21)年9月26日にパスハンターで走った中津川林道について、一部の区間の林道開設のベースとなっているトロッコ鉄道に関する内容をまとめたものが本記事である。自転車での走行編として中津川林道実走があるので、事前に、そちらをお読みいただければ幸いである。

ところで、当方は、トロッコ鉄道(この表現が妥当かどうかについても疑問があるが・・・)を含めての鉄道全般に関して、以前から強い関心を持ったことは全くない。つまり、ド素人である。まっ、子どもの頃に近所でトロッコを見た記憶はあるが・・・、そして中学校の国語の教科書に軽便鉄道敷設の文章が載っていた記憶はあるが・・・程度の認識しかないので、噴飯ものの内容を記してしまいそうであるが、お許しいただきたい。

ことのおこりは、「中津川林道」をWeb検索したことによる。読んでいて面白かったのは、廃探倶楽部である。結局、Web上で「武州中津川森林鉄道」という言葉に出会ってしまったことから、中津川林道をパスハンターで走りたいという意識とあいまって、探訪派の出動となったものである。

この話題を展開するには、西裕之著「全国森林鉄道」(JTBキャンブックス)を読む必要があるのだろうが、読んだことはないし、近くの図書館にもないし、通販で買おうとすると1~2か月が必要・・・と表示されるので諦めた。廃探倶楽部の記述により「武州中津川森林鉄道」との呼称は承知したが、とりあえずは、このブログではトロッコ鉄道と呼ばせていただくことにする。その理由は、自転車をこぎながら見た車輪やレールが、当方の子どもの頃の記憶に照らし合わせると、まさしくトロッコそのものだからである。

場所は特定しないが、道中でみたトロッコの車輪である。廃棄物っぽい扱われ方であるが、行政が収集保管に乗り出すかどうかは別として、どうみても文化財である。幅は762ミリっぽい。計ったわけではない。念のため。

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中津川の埼玉県森林科学館の辺りが土場(どば=木材の集積場所)であったという。確かにそうかもしれないと思える。

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しばらく進むと、いかにも建物と樹木の間をトロッコが走っていそうな景色がある。あくまでも「走っていそうな」である。

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またまたしばらく進むと、錆びたレールがあった。

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レールとしてではなく、道路標識の支柱として第二の人生を送っているレールもある。

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トロッコ鉄道の存在を、間接的に文字で確認できる鎌倉橋である。親柱を見ると、この橋は昭和35年3月竣工となっている。

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下にもぐるとこうなっている。鉄道の短い橋梁で、一般にも馴染み深いプレートガーダーである。

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廃探倶楽部の記述によれば、このプレートガーダーはもともと一体のものではなく、内側と外側(両脇?)で一体となっており、その内側のものにトロッコ鉄道時代に作られたことを示す銘板がついているとのことである。

下の写真は、外側のプレートガーダーの銘板である。「1960年2月 森林開發公團建造 製作 横(?)田機械工業株式會社 材質 SS40」と読める。橋の親柱の昭和35年3月竣工と符合する記載である。

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下の写真は内側のプレートガーダーの銘板である。「東京營林局 活荷重 FRS-5 株式會社横河橋梁製作所製作 昭和32年」と読める。ということで、下の銘板がトロッコ鉄道時代のものであり、上の銘板が林道建設時のものという推論である。現在の株式会社横河ブリッジ製作の橋梁は近所にもあるので、なんか歴史の流れを感じてしまう。

余談であるが、この写真を撮影するのは苦労した。自転車用でもヘルメットをかぶっていたのは正解であったが、かすり傷を作りながらの撮影であった。

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下の橋は、起点から8.4キロ地点にある信濃沢橋である。

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信濃沢橋を渡り、信濃沢の上流右岸を見たところである。支線の痕跡がこの先にあるとのことであるが、当方は確認していない。

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下の写真は、基点から9.8キロ地点にある中野沢橋の下の様子である。使われていない橋脚が見える。このパターン(橋の下又は脇の低い位置に古い橋脚や台座がある)は、すべてを検証した訳ではないが、下流部から一貫している流れである。このことから、少なくとも、この地点まではトロッコ鉄道があったと考えられる。

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廃探倶楽部では、トロッコ鉄道の終点を、中津川から9.8キロの検分(ケンブン)河原としているが、廃探倶楽部に掲載されている地図と他の地図を整合させると、起点から11.1キロの地点で「中津・西沢の大カツラ入口」の標柱がある場所のように思える。この場所からは作業道のような道も伸びているが、この場所が終点なのかどうかは、当方には分からない。

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下の写真は12キロ地点手前の広場である。土場だったのかとも思うが、トロッコ鉄道が直接にたどり着くにはかなりの勾配もあるし・・・で、見た目以外に根拠はない。

しかし、埼玉県森林科学館からの距離は9.8キロ程度であり、この場所が検分河原、すなわちトロッコ鉄道の終点の可能性も大いにあるのだろうと思う。

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これ以降は、トロッコ鉄道の経路に関わる話ではなく、レールその他のお話である。

下の写真は、文字通りのガード『レール』として利用されているトロッコ鉄道のレールである。松の木が歴史を感じさせる。

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そして、三国峠近くのゲートである。これもトロッコ鉄道のレールが使われている。

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そして最後に、横断側溝である。この材木は枕木ではないと思うが、犬釘がトロッコ鉄道のものかも知れない・・・とか思うが、損傷の度合い、すなわち交換頻度を考えると、可能性は低い気がする。

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以上、探訪を楽しませていただいた。今回は、トロッコの車輪を発見できたのが良かった思う。見つけたときは鳥肌が立った。

※ この記事の写真は通常の半分のファイルサイズになっています。

2009年9月26日 (土)

中津川林道実走

秋晴れのなか、中津川林道をパスハンターで走ってきた。
中津川林道は、勾配がゆるい中津川沿いの部分について、トロッコ鉄道の廃線敷を基礎として開設された林道である。そこで、通常の探訪記事を「中津川林道実走」とし、トロッコ鉄道の痕跡に主眼を置いた記事を「中津川森林鉄道」とする2本の記事にまとめることとした。なお、中津川林道は、現在、秩父市道大滝幹線17号線となっているが、一般的な呼称である「中津川林道」と呼ばせていただくこととする。

中津川林道は、1981(昭和56)年のゴールデンウイークに友達2人と3人で三国峠側から下ったことがある。前後は定かではないが、中津川側から登ったこともある。いずれにしても30年近く前の話である。
この頃になってパスハンターを復活させ、とりあえず定峰峠周辺の未舗装林道を走ろうかと思っていたが、大弛峠や中津川林道を走っていた当時の記憶がよみがえり、どうしても中津川林道を走ってみたくなってしまった。ということで、先日の「川上村ポタ」の帰りに、中津川林道を三国峠側から自動車で下り、下見をして来た次第である。

前日、スケジューラと手帳を見る。「夜の7時から会合があるけど・・・よしっ、明日行こう!」と即決。速攻、コンビニに買出しに行く。スポーツ飲料、ウイダー、SOYJOY等を大量購入したため、家族には何を考えているかバレバレであるが、ワクワクしてくる。

当日は、外が明るくなった頃に目が覚めた。熊鈴代わりのカウベルを自転車のハンドルに付け、自動車にiPodを先日と同じフォルダでセットし、愛車に愛車を積み込んで出発。普段と違う持ち物は、消毒液、傷テープ、ムヒである。しばらく走って、国道299号線に入った頃、最初の?「あ゛・・・っ」である。デジカメの電池を充電器に入れてコンセントに差したままにしてきたことを思い出したのである。やむなく戻る。かなりの時間をロスしてしまった。

国道299号線から140号線を走る。旧大滝村役場(現秩父市役所大滝総合支所)前を通過するときに「大瀧村道路元標」が見えたので撮影する。
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滝沢ダムを経て県道210号(中津川三峰口停車場)線に入る。道路の真ん中に樹が生えている。さすがに巨木なので、恐れ多いので残したものなのであろう。手前の中央分離帯の警告標識がダンゴのように見えて面白かった。

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少し進むと仏石山トンネル。右側に沢沿いに進む旧道が見える。この辺りでは、このパターンが非常に多いような気がした。

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その後も順調に進み、中津川林道沿いの埼玉県森林科学館に到着。オフロードバイクの一団が先着している。駐車場には車が2台、当方は3台目である。静かである。やおら準備をして出発。まずは下って中津川林道の起点を目指す。しかし、中津川林道の起点標識(正確には旧大滝村の村道17号線の起点標識)が見つからない。探索開始。すぐに痕跡を発見。自転車の前輪の前の円柱状のものが基点標識の基礎である。良く見るとガードレールも曲がっており、起点標識君は、車にハネられて頓死したものと見込まれる。

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道路の下には、変わり果てた姿となって基点標識君が落ちていた。それにしても、この基点標識君、ちょっと骨が弱そうである・・・。

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2.1キロ(獲得標高50m)(←ポラールでの計測。以下同じ。)走って、埼玉県森林科学館に戻ってきた。

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しばらく走ると、中津川林道利用上の注意の大きな看板がある。12月1日から翌年4月30日まで冬期通行止、午後5時から翌日午前8時まで夜間通行止等の注意書が書いてある。奥の建物は中津川渓流釣り場である。

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起点から3.4キロで舗装が終了しダートが始まる。少し走ると、左側に昭和34年度の中津川林道開設での殉職者の碑があった。手を合わせる。しばらく走ると、ここだけではないが道路標識がある。右カーブ注意と警笛鳴らせである。標識とともに見るべきは「支柱」である。何とトロッコ鉄道のレールが利用されているのである。中津川林道の道路標識には、いろいろとバリエーションがあっておもしろいが、ネット上に記載があった「CAUTION」という英語の標識は、ついぞ見つけることができなかった。

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起点から4.8キロ(獲得標高121m)で、鎌倉橋(昭和35年3月竣工)に到着である。この橋は、トロッコ鉄道の痕跡を色濃く残す橋であるが、その詳細は「中津川森林鉄道」に譲ることにする。

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起点から6.8キロ(獲得標高165m)で、ガク沢橋(昭和35年10月竣工)に到着である。景色が変化に乏しいので、目標になるのは橋である。

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しばらく進むと、社営林作業道学沢線分岐を過ぎる。社営の「社」は埼玉県森林公社の「社」であるが、今は、農林公社の「社」かもしれない。やがて、右側に川石の石垣が見事に続く。中津川林道の土留め(擁壁)は多くのパターンがあっておもしろいが、この辺りの石垣は古いものだと思う。

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その後、森林管理道大山沢線の分岐を過ぎて、信濃沢橋(昭和35年11月竣工)に到着である。起点から8.4キロ(獲得標高230m)の位置である。ここからはトロッコ鉄道の支線があったようであるが、それらしき平坦地はあるものの、それ以上の確認はしていない。ここから勾配が、若干ではあるが強まり始める。

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そして、いよいよ素掘りのトンネルである。起点から8.6キロ(獲得標高239m)の地点である。いい感じである。掘った人は大変だったろうな・・・と思う。

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しばらく進むと、起点より10kmの標柱があった。ポラールで確認すると、誤差は162mのみ。どっちも正確なのだと思う。やがて、「中津・西沢の大カツラ入口」の標柱が見えてきた。起点から11.1キロ、(獲得標高341m)の地点である。百メートル程度奥まで歩いてみたが、大きな樹は見えなかった。

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いよいよ本格的な登りであるが、それが始まる手前、起点から12キロ辺りにある広いスペースで一休みである。休憩時間は10分で、コンビニオムスビなどを食べる。ここいら辺で2人の方と話をする。一人は渓流釣り?の方、もう一人は、輪行で信濃川上からというMTBの方である。しばし話をする。
12kmの標柱辺りから勾配が一気にきつくなり(約10.7%)路面も荒れてくる。そして12.5km標柱を過ぎた切通しを抜けると、ウリウリの始まりである。非常にシンドイ。前2枚、後5枚では足りない感じがし過ぎるが頑張る。
やがてガードレールが見えてきた。トロッコ鉄道のレールでできた文字通りのガードレールである。レールの製造会社等を思い浮かばせるものはない。この頃、レールつながりということではないが、宮沢りえの「ドリームラッシュ」が頭の中で回り始めた。

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少し走って大きな岩があった。見ると、昨年のものか巨大な蜂の巣が見える。写真では分かりづらいが、中央やや右の紅葉した葉のあたりである。

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しばらく走って、2度目の「あ゛・・・っ」である。なんと左(後)ブレーキのレバーがハンドルから「もげた」のである。とにかく焦った。汗、汗、汗である。起点から14.3キロ地点のことである。少し緩んできたな・・・との印象はあったのだが、いきなりであった。
とにもかくにも、下りでなくて良かった。レバーのあるべき位置の左側に見えるのが熊鈴代わりのカウベルである。

とりあえず、その場で後輪をはずし、ブレーキワイヤーを緩め、ネジを締めなおして修理完了。所要時間12分52秒。

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その後、ウリウリと登り続ける。16km標柱過ぎの辺りと18キロ地点の辺りでは押しである。前回車で下ってきたとき「ここは押しだな・・・」と思ったのが18キロ手前の通称「ブタ岩」の附近である。無理である。今日も転倒しているオフロードバイクの方がいた。痛そうであった。
起点から18.7キロ(獲得標高854m)で、西沢橋(昭和40年10月竣工)に到着である。鎌倉橋などの平坦部分の橋に比べると完成が5年遅い。開設工事の進捗を知ることができる橋である。この橋の親柱はおもしろい。通常は、橋の名称と下を流れる河川や沢の名称が彫られているものであるが、なんと「中津川林道」と彫られているのである。

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起点から19.4キロ(獲得標高911m)で、三国橋である。親柱や欄干が流れ去っている。かなり厳しい環境である。

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しばらく進むと、起点より20kmの標柱があった。ポラールで確認すると、誤差は411m。ポラールの方が長めに計測している。かなり誤差がたまってきた。本日の最高心拍174拍はこの手前のぎりぎり登れる急坂で記録。

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残りは少しである。閉鎖用のゲートである。よく見ると、これもトロッコ鉄道のレールでできている。しかし、このレールの再利用は、どういう発想なのだろう。昔を保存する、例えば、古い家の材木の一部を新しい家に使うとかの発想に似たものか、それとも、材料を現場調達する方が比較設計では安かったのか・・・。いろいろと理由はありそうであるが、最終的には設計技師の発想によって決まるような気がする。

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やっとのことで三国峠に到着。起点から20.6キロ(獲得標高993m)、平均勾配4.8%(12キロ地点以降の平均勾配は6.9%)、所要時間4時間26分45秒である。今回は探訪にかけている時間が非常に多いので、行程の参考にはならない長い時間である。三国峠では650ccのBMWに乗った方に、例の標識の前で写真を撮ってもらった。切通し越しに長野県側を望む。

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川上村の標識前で記念撮影。お茶を飲んで、ウイダーを食し、8分39秒休憩。

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Uターンである。下りで気をつけたいのは、横断側溝にはまらないこと、タイヤサイドを裂かないこと、リム打ちパンクを避けること等である。勾配が急な区間では、横断側溝は木製である。と言ってもかなり埋まっているが、侮ってはいけない。加えて、犬釘が「生えている」感じである。頭がないのもあって要注意である。この犬釘がトロッコ鉄道のものかどうかはわからない。

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影が少し延びてきた。時間がない。慎重に急いで下る。しかし、ガタガタすごい振動である。サスペンションがついているMTBならこの振動はないんだろうな・・・と思う。手が痛い。その内にリフレクターのネジが緩んでくる。人間のネジも緩みそうな振動である。冗談はともかく、緩むと締めるを繰り返していたが、面倒くさいので外してしまった。以降は異音の発生もなく快調に下るかと思いきや、3度目の「あ゛・・・っ」である。「何だ? あの棒は?・・・」 タイヤがロックする程のブレーキをかけて回避。もちろんヘビ君である。

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埼玉県森林科学館に帰着。朝、出発した時と全く同じ状況である。でかける時は、こまどり荘で入浴してから帰ろうと思っていたのだが、時間がなくなってしまったので諦める。そそくさと出発する。後に義務的な用件が控えているのは、精神的に良くない。でも、走れたからいいじゃん・・・とか思う。

旧荒川村から秩父市街に入る辺りで、4度目の「あ゛・・・っ」である。フロントガラスの内側をキラキラ光るトカゲ君が動いている。勘弁してよ・・・。中でバタバタしながら、サイドミラーを見ると後ろのトラックの運転手が笑っている。後ろからって良く見えるんだ・・・と思う。無事、お引取りいただいた。

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しかし、せわしかったとはいえ、秋晴れの楽しい1日が過ごせた。驚くことも多かったが、のんびりまったりするには、やはり時間が必要だと思う。

※ この記事の写真は通常の半分のファイルサイズになっています。

2009年9月25日 (金)

三国峠の標高

中津川林道の続きである。中津川林道を自転車で実走しようと考え、国土地理院の2.5万図とにらめっこをしていた。

「あれっ、おかしいぞ?」

三国峠の標高は1,730mないし1,740mのように見える。峠の標識の1,828mって何?と思ったのである。切通しの高さは88m以上も・・・ないしなぁ、ということで不思議発見である。

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正確な根拠は分からないが、Web上の検索では、三国峠の標高は1,828mとするものが最も多く、1,740mとするものもあった。

そして、1,828mを北方にある三国山の標高としているWeb(長野県南佐久郡川上村公式HPの観光マップ等)もある。しかし、現行の国土地理院の2.5万図では、 三国山の標高は1,834mであり、その差は6mある。

なんでだろう?

当方の現時点での、それぞれの標高に関する結論は、三国峠1,740m、三国山1,834mである。

☆ 蛇足その1 ☆
標高がらみのお話である。市町村役場(役所)の中で最も標高が高いのは長野県南佐久郡川上村役場なのだそうである。その標高は1,185m。

☆ 蛇足その2 ☆
「大滝村史」は、現時点では発行されていない。「大滝村誌資料編」は刊行されている。秩父市教育委員会に確認したところ、大滝村史は現在編纂中で、平成22年度に発刊までこぎつけたいとのことであった。「名栗村の歴史(民俗)」を飯能市教育委員会が発刊するのに似ている。

2009年9月23日 (水)

中津川林道

中津川林道についてインターネット上で調べてみると、それはそれは色々な情報にアクセスすることができる。今日の今日まで、まったく知らなかったこともある。

中津川林道は、1966(昭和41)年完成とのことである。鉄道の廃線敷が林道の比較的平坦な部分のベースになっていることなどは、今日の今日まで、まったく知らなかったことであった。現在の道路の正式名称は「秩父市道大滝幹線17号線」とのことであり、起点は埼玉県秩父市中津川出合、終点は三国峠、全長は20.3kmである。廃線敷の件については、機会があれば大滝村史(2010(平成22)年度刊行予定)等を確認してみたいと思う。

昨日の記事に引き続き、三国峠から中津川出合に至る中津川林道の詳細である。

長野県南佐久郡川上村側から見た三国峠の切通しである。

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三国峠の標識。標高は1,828m※と記してある。結構、高い位置なのだと改めて思う。埼玉県秩父郡大滝村は、2005(平成17)年4月1日に秩父市等と合併し、新たに秩父市となっている。秩父多摩甲斐国立公園は、2000(平成12)年8月10日に秩父多摩国立公園から名称変更されたものである。

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旧大滝村の村道17号線終点の標柱である。この標柱と同様のつくりで、起点から何kmの表記をしてあるものが経路の随所にある。

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旧大滝村建設課の夜間通行止の看板である。

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しばらく下っていくと、奥秩父林道の橋をくぐる。この景色は印象的な景色で、30年近く前は周囲の木々が繁茂しておらず、奥秩父林道のループがよく見えたような記憶がある。写真は、起点側から振り返ってみたものである。ここからしばらくは路面の状況が良くない。特に中津川沿いに出るまでのカーブの連続は、傾斜も強まって大変である。まあ当方の感覚では乗用車でも通過できるレベルではあるが、そう簡単に安全・無傷に通れる道でないのは確かである。

「この道路の通行により発生した事故については一切の責務を負いません。大滝村長」との看板が終点には設置されていたが、法律上の管理者責任が免れるかどうかはともかくも、道路管理者にそのような看板を立てさせる道路(林道ではなく道路法上の道路)であることも事実である。

通行中に見かけた車両は250ccぐらいのオフロードバイクが圧倒的に多い。自転車は1台も見なかった。自動車はガチガチの4駆から軽乗用車(登山者と思われる1台のみ)まで様々であったが、渓流釣りと思われる車両を除くと数台である。

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下の写真は林道が中津川沿いにでる寸前のへアピンカーブの切通しである。ここを過ぎると、渓流釣り?の駐車車両が目立つようになる。この地点の標高は1,200m弱である。

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ここから、勾配の少ない、どちらかというと直線的な、中津川沿いのダート路となる。土ぼこりがすごいので、車はほこりだらけになることは確実。雨なら・・・走っていないのでわからない。

走っていると土留めが川石の石積みで、間知石やブロックではないことが分かる。歴史を感じさせる。下の写真は「なかのさわはし」の親柱である。昭和37年2月竣工と記されている。

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県営林道大山沢線起点の分岐である。

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最後の写真。中津川林道の起点である中津川出合、県道210号(中津川三峰口停車場)線との分岐である。この地点の標高は750m程度である。

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中津川林道のダート部分の延長は17キロ強。大滝(おおたき)ではなく王滝(おうたき)の林道100キロをアグレッシブに走り抜ける力量を持ってすれば、ウォーミングアップ程度の道のりかもしれないが、現在の当方にとっては挑戦する道である。とりあえず、今日の「四方の山々自動車探訪=下見」は終了である。

※ 2009(平成21年)9月25日追記 : 三国峠の実際の標高は1,740mと思われる。詳しくはこの記事の次の記事「三国峠の標高」を参照されたい。

※ 自転車(パスハンター)での走行記録は「中津川林道実走」を参照されたい。

※ 林道の元となったトロッコ鉄道については「中津川森林鉄道」を参照されたい。

2009年9月22日 (火)

川上村ポタ

早朝に目覚める。前日に相当程度の準備はできていたので、最終的な確認をして車で出発。関越道から上信越道に入り、一路佐久ICを目指す。大した渋滞にも遭わず到着。その後、国道141号線を南進し、何か所かの道路元標を確認することにする。数多くの市町村があった長野県のこと、時間に限りもあるので、川上村近辺に限ることにする。なお、市町村合併の経緯については記載を省略する。
まずは、旧北牧村(きたまきむら)道路元標である。風情のある旧道にある。

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続いて旧小海村(こうみむら)道路元標である。広場っぽい場所の脇にあった。海無し県である長野県になぜ「海」の付く地名があるか・・・? WEB検索するとそれらしい答えがヒットするが、もう少し調べてみたいと思う。

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続いて南牧村(みなみまきむら)道路元標である。道路元標のある場所は海ノ口宿(うみのくちしゅく)である。旧家の門の脇にあるイメージであった。

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続いて南相木村(みなみあいきむら)道路元標である。ここに辿りつくまでの道筋ではローディーをお見かけした。失礼ながら、一見すると「スパイダーマン」のイメージの方でツール並みのスピードで下って行った。おそるべしっ!!である。道路元標は役場近くの橋のたもとにあった。

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その後は、長野県道2号(川上佐久)線を南進し馬越峠を越える。峠を越えれば、本日の目的地川上村である。一面に高原野菜の畑が広がる。当方の川上村のイメージはこの景色である。

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そして、本日最後の道路元標である川上村(かわかみむら)道路元標である。草をかき分けて写真を撮っていると、写真を撮っている当方を見ていた「おばちゃん」が道祖神のことで話しかけてきた。ちょっと趣旨が違ったが有難いことである。

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道路元標めぐりを終了して、川上中学校へ。愛地球博に出展された「プレイヤー・エイリアン」を見るためである。しかし、この中学校、半端ではない。「新進気鋭の木造校舎、ここに極まれり!」という感じである。プレイヤー・エイリアンの後方に見えるのはランチルームと思われるが、もう一度、中学生になれるなら、ぜひ学んでみたい校舎である。

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次に目指したのは、廻り目平キャンプ場である。この辺りでやっと、ポタリングの開始である。カーボンロードバイクに慣れている身としては、率直に言って『重い』、加えて、下りで前傾姿勢が取りづらいと感じている自分に気付く。「速く走る道具ではない!」のだが、慣れとは恐ろしいものである。改心してポタリングである。スプリンクラーの設置された畑の脇を通ると、シャワー状態になる。夏は涼しいと思う。

下の写真が、廻り目平キャンプ場である。しかし、すごい車の数。ナンバーを見るとかなり広域から訪れてきている感じである。キャンプしていると朝方は寒そうである。

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ラーメンを食べる。

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白樺とパスハンター。

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近くの森である。森に入ることは禁止されている。

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愛車に愛車を積み込んで、三国峠を目指す。長野県側は高原のイメージを保った舗装路である。埼玉県側は、深山幽谷のダート路である。

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下っていくとこんな感じ。「昔は元気だったなぁ」とか思ってしまった。この道(中津川林道・現在は秩父市道?)は、自転車で登ったことも下ったこともあるのではあるが、今現在走るとなると、登りでも下りでも、相当の決意と準備が必要な気がした。

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写真撮影の名所。

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ちょっと寄り道。

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なぜか「潮騒のメロディー」を聞きながら帰路につく。
正直のところ「二兎追う者は一兎をも得ず」を地で行った感じである。それなりに楽しかったのではあるものの、贅沢な物言いではあるが、かなりの疲労感がある。
道路元標めぐりは、それ自体を目的にしないと無理だと思った。

謝辞:今回の道路元標めぐりにあたっては 「じゃごたろーど」 を参考にさせていただきました。感謝を申し上げます。

2009年9月13日 (日)

自転車道めぐり

今日は、午後から用事があるため午前中のみの自転車探訪である。そこで自転車道めぐりをすることにした。自転車はロードバイク、タイヤは糸が見えるヤツ(未交換)である。

埼玉県内の県道である自転車道は、

  1. さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道線(県道155号線)
  2. 三郷幸手自転車道線(県道156号線)
  3. 川越狭山自転車道線(県道157号線)
  4. 川島こども動物自然公園自転車道線(県道158号線)
  5. 足立さいたま自転車道線(県道255号線)
  6. 利根川自転車道線(県道416号線)
  7. 高崎伊勢崎自転車道線(県道417号線)

の7路線である。本日は、埼玉県西部にある自転車道を「3(全部)⇒1(一部)⇒4(ほぼ全部)」の順で走った。

まずは白い彼岸花(曼珠沙華)である。キョロキョロと見ながら走っていたら見つかった。河川沿いを走った今日の行程で気が付いたのは2株のみであった。

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入間川にかかる豊水橋のたもとの川越狭山自転車道線の終点に到着。ここから入間川左岸を下っていく。しかし、この自転車道はある意味走りずらい。歩行者が多いし、低速サイクリングの自転車(ママチャリ・クロスバイク・ロードバイク・MTB等雑多)が多い。確かに、周辺河川敷でのスポーツ少年団の野球やサッカーの活動等を考えると、スピードを出すのは顰蹙ものである。ということで、流れに身を任せて進むことにした。

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安比奈親水公園のお花畑を目指す。しかし、公園内には入ったものの手前の水路で、思わず止まってしまった。ニガバヤ(=アブラハヤ)がいっぱいいるのである。途端に、気持ちは子どもの頃にUターン。竹の竿の先に絹糸をつけ、その先に1本1円の針をつけて、植物の茎を浮(うき)にして、絵の具のチューブなどを切って丸めたオモリをつけ、餌は蜘蛛の脚、あるいはサナギ粉入りの小麦粉等(一部には歯磨き粉を入れると良いという珍説もあった・・・)で魚釣りをしていたことを思い出した。さすがに公園内でもあり、釣り人はいなかったが、しばらく下流に行くと・・・である。

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お花畑である。マリーゴールド、コスモス、クレオメ等々が咲いている。きれいである。

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しばらく走ると「かかし」である。これは笑えた。

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振り返りつつ富士山などを見ながら、しばらく走ると、東武東上線の入間川を渡る鉄橋である。写真の下部にはかつての橋脚の基礎が見える。この基礎は以前電車に乗ってみたときは、水の中にあったような気がする。ということは、今は、水が少ないのか・・・それとも当方の勘違いか・・・不明である。

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川越狭山自転車道線のゴール(路線的には起点)の入間大橋である。ここから「さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道線(荒サイ)」に入る。荒サイの土手には結構彼岸花が咲いていた。

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埼玉県防災航空隊の「あらかわ2」である。離陸の一部始終を見ていたが、かなりの迫力であった。消防関係者に聞くと「何が飛んできたか音で分かる」とのことであるが、当方は判別不能である。空高くには月も写っている。

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さらに荒サイを走る。圏央道がだいぶ出来て来た。遠景は堂平山・七重峠・笠山方面である。

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ここで荒サイを降りる。以前に師匠と来たことがあった懐かしい光景ではある。遠くには御荷鉾山も見える。この辺りでは、丹沢、富士山、奥多摩、奥武蔵、西上州、赤城山、日光連山、等々、晴天の正月にでも来たら360度の眺めだろうな・・・と思う。

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大きなコンバインを横目に見ながら川島町を走り、川島こども動物自然公園自転車道線へ。下の写真は国道254号線バイパスを横切る地点である。建物は、ラーメンの「あぢとみ食堂」である。旧道沿いにあった店舗は閉店しており、こちらで食べることとなるが、太麺、細麺が選べたりするメニュー構成になっている。本日はパス。

この自転車道は、通行量が極めて少なく、管理もイマサンである。いろんなものが落ちていてパンクが心配である。

途中であった自転車は買い物帰りの荷物を満載した農家のばあちゃんのみ。「重いでしょ?」とか声をかけると、「食いもんは軽いんだよぉ~」とのこと。当方に「お兄さんはどっから来たん?」などど話しかけてくる気さくなばあちゃんであった。

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そして、最後に大魔王降臨である。「タイヤ替えときゃ良かった・・・」とか思ったりもするが、トボトボと押し歩きをしながら日影毎に一休み。やむなくレスキュー隊を要請し帰宅である。

最後に蛇足である。今日は下のような救急車を見た。テレビのロケ用のものらしい。

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2009年9月 6日 (日)

試運転

今日の自由時間は、お昼の時間帯である。ということで、スベア123の試運転をしてみた。

まずは、ホワイトガソリンを補給し、ロビオさん指南のとおり、両手でタンクを包む。しばし待つと、ガソリンが滲み出して来た。しかし、下の窪みにたまるほどの元気はない。日向に放置する手もあるのだが時間がない。

生来の気の短さで点火。下のような状況になる。かなりの油煙である。以降だましだましで、給油量を変化させながら、青い炎のまともな状態に持ち込む。

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約1リットルサイズのコッヘルでインスタントラーメンを作る。しばらく待つと沸騰してきた。少し火力の調整が遅れて吹きこぼれてしまった。

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ウインナーソーセージを入れて食べる。結構うまい。所要時間は給油開始から食べ始めるまでで20分程度であった。

今日の試運転で、家族にスベア123がどんなものなのか伝わった。百聞は一見に如かずである。

2009年9月 5日 (土)

道路元標

今朝起きてみると、青空が一面に広がっていた。「よしっ、行くぞ!」ということで、3UPジャージを着込んで出発。

とは言え、午後には用事があるので、長い距離は走れない。そこで、大山燈籠めぐりの季節も終わったので、道路元標(どうろげんぴょう)めぐりをすることにした。まずは道路元標に関する基礎知識として、後ほど登場する梅園村道路元標の解説板の一部を引用する。

「道路元標とは道路行政の基本法として大正8年(1919)に制定された(旧)道路法をうけて、全国の市町村に、道路の基点として建てられた標石である。これらを起点、終点に、近代的な道路網の整備が進められた。(以下略)」

更なる詳細は、当ブログと相互リンクさせていただいている きまぐれ旅写真館 に詳しい。同HPのトップページ(最下部)の「第9回 埼玉県の道路元標」から詳細を閲覧できる。

まずは鶴ヶ島市である。鶴ヶ島市は明治以来合併を経験していない市である。したがって、道路元標は市内に一つである。

旧日光街道(国道407号線の旧道)の才道木歩道橋に到着。日高市側に向かって左側に鶴ヶ島市立第一小学校があるが、その正門の脇、歩道橋の階段下にある。

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文字が判読しずらいのが残念であるが「鶴ヶ島村道路元標」と刻まれている。しかし、歴史を誇るさすがの道路元標も、散歩中のワンコ先生にとっては、縄張りの境界杭くらいの意味しかないようである。

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続いて訪れたのが、当方が精査したところではWeb上では一切その存在が知られていない毛呂山町の旧川角村道路元標である。県道川越越生線に入り高麗川を渡り、更に進み、県道川越坂戸毛呂山線に合流すると川角小学校前歩道橋が見えてくる。越生町側に向かって右側に川角小学校があるが、歩道橋の階段近くの小学校敷地内にある。なお、通常、立ち入る際には学校関係者に一声掛ける配慮が必要と思う。

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下の写真の石の様子や刻まれた字体を見ると、旧鶴ヶ島村のものと似ているように感じた。「川角村道路元標」と刻まれている。ということでWeb上に初登場である。

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続いて越生町を目指す。稲穂が見事な水田地帯を走る。すでに稲の花の香りは感じられなくなっており、雀よけの糸の間を赤トンボが飛んでいた。今しばらくすれば刈入れだろうか。

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さて、越生町には道路元標が2つある。越生町は、埼玉県内で「町」としての歴史を誇る町であり、昭和30年に梅園村と合併している。したがって、道路元標は2つである。

下の写真は「越生町道路元標」である。小公園的に整備されており、大切にされていることが伝わってくる。今回登場する道路元標は、これ以外すべて「村」のものである。このことからも、当時、越生町がこの地域の中心であったことが伺える。脱線するが、高篠峠に設置されている「峠の歴史」という環境庁と埼玉県が設置した案内板にも「この地方の経済の中心が越生だった」と記されている。

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続いて、旧梅園村道路元標である。越生町市街から黒山三滝方面に進み、自然休養村センター手前の、梅園駐在所脇にある。「梅園村道路元標」と刻まれた標石の上に、冒頭に引用させていただいた解説板が見える。

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さすがに疲れて来たので、自然休養村センターで一休みである。自販機でスポーツドリンクを買って、まったりしていると、「よぉっ~」とか声が聞こえて来た。師匠の登場である。お腹がすいたので2人で、まんじゅう@100円を食べることにした。通常のまんじゅうの他に、「ゆず」と「よもぎ」がある。当方が2個、師匠が1個である。あんこの感じといい何と言い、まさしく「お袋の味」で美味かった。

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師匠と一緒に出発。猿岩線を登るか、笹郷線を登るか・・・ということで、大して悩むこともなく、安易に笹郷線に決定。師匠は世間話をしながら淡々と県道を登っていくが、当方は、心拍150超のハーハーゼイゼイである。黒山三滝下のT字路で師匠をお見送りし、マイペースで登っていく。林道笹郷線が始まる。

この近くには「一級河川越辺川起点」の標石があるが、黒山三滝下のT字路にも起点標石があるので、どっちがホントなの?とか思ったりもする。

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あまり無理をせずに登っていく。心拍は150弱程度。その内に師匠が迎えに降りてきてくれた。余裕で、はるか下まで降りて行き、追いかけてくる。やむなく、心拍170のスパルタ状態で登る。苦しかった。権現堂線に合流。辺りでは材木の積み込みをしていたが、何台かのトラックのナンバーが中部地方のナンバーであった。ちょっとビックリ。

ここで師匠は、再び笹郷線を下って行ったので、当方は東吾野に出るべく、阿寺集落を経て阿寺線を下る。コケに気をつけながら阿寺線を下り切る。

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さらに東吾野を目指して走りやすい道を下る。国道299号線に合流。飯能市民病院の近辺で「東吾野村道路元標」を探し回るが確認できず。次回への宿題である。

ところで、西武線の駅には、東吾野駅、吾野駅、西吾野駅があるので、かつて西吾野村が存在したような気がするが、実際にあったのは吾野村と東吾野村だけとのこと、以前に正丸丼を食べながらおばちゃんから聞いた話である。

話を戻して、国道299号線を車に気を使いながら下る。県道川越日高線に入り、高麗小学校近辺から徐行しながら進む。日高市を構成している旧高萩村、旧高麗川村、旧高麗村のうち旧高麗村の「高麗村道路元標」を探すためである。

巾着田付近で案内をしていた高齢のボランティア?の方に聞いてもヒントはない。

公民館の敷地内に入っていくと、どこかで見かけた方と遭遇。敷地内を一周するが見当たらず。

やむなく県道に戻り、静かに、高麗川方面に走って発見。この道は、何度となく走っている道なのであるが、まったく気づいていなかった。

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帰路に着く。東吾野村道路元標は惜しいことをしたので、リベンジすることにしたい。

2009年9月 2日 (水)

SVEA123

自転車でデイキャンプ?作戦の開始である。まずは、自転車の準備より先にストーブである。

ということでSVEA123を発掘?してきた。燃焼部分のニードルも動くし、最も心配されたホワイトガソリンの補給口のパッキンも大丈夫そうである。

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本体に刻んである文字は、大きい文字で「SVEA123」・「MADE IN SWEDEN」、小さい文字で「BENZOLINE」・「PETROL」・「ESSENCE」・「BENSIN」である。

もしかすると、当方が最も最初に購入したスウェーデン製品なのかもしれない・・・。でも、特許なども含めれば、最初にお世話になったことを意識したスウェーデン製品は「テトラパック」だと思う。

話を戻して、その昔、スイスの片田舎で、SVEA123の燃料にすべくガソリンを求めて自動車(農機具?)整備工場に入ったことがある。おじいさんが出てきたが「PETROL」と言おうが、「GASOLINE」と言おうが通じない。身振り手振りでついに通じて、おじいさんが「BENZIN!」と言ったのである。ベンジンというと衣服の襟や袖の汚れを拭くイメージしかなかったので、やたらとビックリした経験がある。しかし、ホワイトガソリンではなくて、自動車用のガソリンでも煮炊きはできたが、良いことではなさそうであった。

風防兼五徳を装着して、シェラカップを乗せると、こんな感じ。

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ホワイトガソリンとプレヒート用固形燃料(本来のプレヒートは本体燃焼部分下の窪みにガソリンをため、それを燃やして行う。)は調達してきてもらった。ホワイトガソリン1リットル1,280円、固形燃料LONZA10片787円とのことである。高いのか安いのか分からない。LONZAは、昔に比べて厚さが2倍くらいになっている感じがした。

試運転は後日である。

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