006 四方山探訪'11

2011年12月16日 (金)

農業気象

先日、気象に関する専門知識をお持ちの方とお話しをする機会があった。

以前から、鳩山アメダス(埼玉県比企郡鳩山町)の最低気温が周辺と比較して低いことに興味があり、当ブログでも「鳩山アメダス」として探訪しているので、その理由をお聞きしてみた。すると、即座に答えが返ってきた。超ビックリsign03 気象の世界では鳩山アメダスの最低気温が低いことは有名なようである。お答えをもとにWeb検索してみると下記の論文がヒットした。

紺野祥平・高橋日出男(首都大学東京)「埼玉県鳩山町における冬季夜間の気温逆転層について」である。全文を読むことができなくて残念なのであるが、初めに「関東平野周囲の丘陵地帯に位置する『鳩山』AMeDASは、冬季を中心とした晴天静寂な夜間に周辺観測点よりも特に低温となり、秩父の気温を下回ることも少なくない。(後略)」と記されており、観測の成果として「夜間から早朝にかけての気温の鉛直分布によれば、日の入り後すぐに逆転層が発達し、早朝には地上から高度100mまでの間で約10℃の強い逆転層が形成された。」と記されている。

何となく鳩山アメダスの最低気温を見ていて感じていたことが科学的に証明されていることに嬉しくなった。

となると・・・程度の問題はあるにせよ、標高がある程度高ければ暖かい・・・というか寒さが和らぐのだ・・・と思った。そこで調査を継続。

寄居町のHPは「風布・小林地区は、四方を山に囲まれ、低地よりも高い所の方が暖かいという盆地特有の気温の逆転現象を生かし、日本のみかん産地の北限として有名です。」と記している。さすがである。きっと、この文章を書いた方は逆転層の知識をお持ちなのだろう。もしかすると、寄居町から見た「波久礼あたりから先の霧」もこれで説明がつくのだろうか・・・とか思ったりした。

ついでにと言っては失礼だが、ときがわ町のHPを見ると「ときがわ町大附地区では温州みかんを中心に福みかん等の数種類のみかんやゆず等かんきつ類を栽培しています。」と記されており、毛呂山町のHPを見ると「毛呂山町のなかでも、滝ノ入、阿諏訪、大谷木地区は、南斜面で風当たりが弱く、霜がほとんど降らない、ゆず栽培に適した条件がそろっていたため、ゆず栽培が盛んに行われてきたのです。」と記されている。

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結局、これらの関東平野西側の丘陵地帯は、冬場は「温暖」といえるのだろうと思う。最後に、これをまとめて裏付ける論文(講演要旨)である。こちらも全文を読むことができなくて残念なのであるが「関東の農業気象 第8号」(日本農業気象学会 関東支部誌 電子媒体版)に掲載されている、紺野祥平・泉岳樹・高橋日出男(首都大院都市環境)「TERRA/ASTER夜間熱赤外線により捉えられた関東平野西部の山地斜面における斜面温暖帯」である。この中には「本研究では、関東平野西部の丘陵地帯における(中略)山地斜面中腹に明瞭な斜面温暖帯(夜間、設置逆転層の発達や斜面冷気流によって斜面中腹に現れる相対的な高温域)が確認された。」と記されている。

サイクリスト的に表現すれば、年の暮れ12月27日の夜10時近く、弓立山や堂平山あたりの方が、長楽・赤尾落合橋や鳩山ローソンあたりに比べ暖かいということである。ちょっと常識的にはなじまないけど、晴天静穏という条件のもとで確かな事実なんだと思う。

近頃は、温暖化の影響か「みかん」や「ゆず」などの柑橘類の北限が分からなくなっているのだが、日ごろ自転車で走り回っている風布にしても、大附(弓立山)にしても、滝ノ入(桂木観音)にしても、「みかん」や「ゆず」が栽培されている背景には、農業気象の科学で裏付けられる温暖な気候があるんだと、改めて納得した次第である。

それにしてもしばらく自転車に乗っていないなぁ。明日も明後日も寒そうである。鳩山アメダスの最低気温は何度であろうか。

2011年11月27日 (日)

第Ⅷ系原点

今日は、平面直角座標系第Ⅷ系原点に行ってきた。

関越から上信越道に入る。佐久平PAからの朝の霧が徐々に消えてゆく景色である。

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国道141号(佐久甲州街道)を走り目的地である「平面直角座標系第Ⅷ系原点」に到着。大きな松の手前に石碑、その左(西)側のやぐらの下に原点がある。丸い看板には「日本のおへそ」と書いてある。

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石碑には次のように記されていた。

平面直角座標系第Ⅷ系原点
経度 東経138度30分0秒0000 緯度 北緯36度0分0秒0000
楕円体である地球上の位置は、経度緯度と平均海面からの高さで表示すると測量法に定められていますが、球面上で長さや面積を計算するには少々複雑な計算が必要です。
そこで場合によっては義務教育でも習う、数学のX座標、Y座標、Z座標を用いメートル単位の数値を使って、平らな紙の上で簡単に距離、方向、高低差、面積などが計算できるようにしていますが、これを「平面直角座標法」と言います。
測量法では日本を十九の区域に分けてこの平面直角座標系を定めていますが、この地が、長野県、新潟県、山梨県、静岡県が属する第Ⅷ(八)系の公共測量の原点です。(原文縦書)

やぐら下の様子である。

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原点の周囲に設置してある保護石である。防衝石と刻んであり、それぞれ長野県千曲川源流の石(西)、新潟県魚野川中流の石(北)、山梨県笛吹川中流の石(東)、静岡県河津海岸の石(南)と刻まれていた。

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原点である。東日本大震災による地殻変動のため(※コメント参照)、原点が東側に移動してしまい、本来の位置は透明のプレートで表示されていた。

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そのことの説明板があった。

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原点を後にして、一度行ってみたかった小海線の佐久広瀬駅に向かう。手前の田んぼには氷が張っている。何ともコンパクトでのどかな駅舎とホームである。

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ホームと駅名表示。

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駅を後にして西に向かい南牧村の畑地から八ヶ岳を眺める。

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せっかくなので少々標高のある地点まで登って富士山を望む。このあたりにはすでに雪があった。

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帰路につく。711小海豊里店に寄るとレジ脇で「平成24年版長野県民手帳」@500円を販売していた。早速購入。埼玉県民手帳と並べてみる。

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中身を比較すると大きな差はないともいえるが資料編は読んでいて面白い。埼玉県民手帳と比べると「ここまで書くか?」という印象である。

表紙を開くと県歌「信濃の国」が見開きで掲載されている。また、県花が「りんどう」とは知らなかった。「統計で見る長野県の姿」が面白く全国順位1位として掲載されているものは、就業率、高齢者就業率、総農家数、レタス収穫量、セロリ(セルリー)収穫量、カーネーション出荷量、トルコギキョウ出荷量、アルストロメリア出荷量、水わさび収穫量、林業産出額、寒天の出荷額、味噌の出荷額、小型モーター(3W未満)出荷額、顕微鏡・拡大鏡の製造品出荷額、縫針、ミシン針の製造品出荷額、ギターの製造品出荷額、平均寿命(男)、10万人当たり公民館数、10万人当たり博物館数である。

ちなみに平成24年埼玉県民手帳に全国順位1位として掲載されているものは、快晴日数(熊谷)、防犯ボランティア団体数、こまつな収穫量、ゆり(切り花・出荷量)、アイスクリーム製造品出荷額、中華めん製造品出荷額、節句人形、ひな人形製造品出荷額であった。

さて、今度はどんな所に行ってみようか。計画を立てるのが楽しみである。

2011年11月 5日 (土)

茅ノ坂峠

今月は一日中自転車にかかわれる日は少なそうである。ということで、明け方に起床と言いたいところなのだが爆睡してそれなりの時間になってしまった。

紅葉が見頃と前日の天気予報で紹介されていた中津川林道や御荷鉾スーパー林道の選択肢もなくはなかったのだが、以前から行ってみたかった茅ノ坂峠(かやのざかとうげ)を訪ねてきた。自転車はMTBである。

愛車に愛車を積み込んで出発。寄居町の711で食料を仕入れる。140を走り長瀞から小鹿野を目指す。道中の田んぼ。何らかの理由で稲が取り込めていない雰囲気である。

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車をデポして出発である。まずは万松山光源院(ばんしょうざんこうげんいん)である。以前にも寄ったことがあるお寺である。

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落葉松トンネルを抜けて合角(かっかく)ダム(西秩父桃湖)に到着。合角漣(さざなみ)大橋を渡る。小さな祠に合角神社と記してあった。ダムの建設にともなってこの地に移られたのであろうか。道沿いには移転して一か所に集められたと思われる石造物群もあり、また「偲ぶふるさと」という石碑もあった。読んでいて、ふるさへの想いが伝わってきた。

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馬上(もうえ)バス停脇の建物。かなり古そうな建物である。

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続いて毘沙門水に到着。放射性物質の検査結果報告が貼ってあり、一口飲んでみたが美味しかった。

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新旧の要トンネルである。新要トンネルは今年(2011年)の1月竣工のようで、それまでは右側に見えるトンネルが現役だったのだろう。後ろに見える建物は旧倉尾中学校体育館である。

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いよいよ林道(正式には埼玉県営なので森林管理道)茅ノ坂峠線(延長11,696m)の起点に到着である。倉尾神社脇の赤い屋根の建物にはブリキの雨樋がついていた。ちょっとビックリ。

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しばらく進むと畑が見えてきた。イノシシ避けであろうか、トタン板や養蚕に使う竹製の棚が並べてある。眺めていて林道が出来る前の景色を想像してしまった。電柱があるので、まだこの先に民家があるようである。

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かなり荒れた宮の入沢(現地の標柱の表示による)沿い道を上って、九十九折になる。落ち葉が路面を覆い秋の風情である。

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紅葉である。

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走っていると色々な植物が目にとまる。リンドウ、松、マムシグサ、ヤクシソウである。

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ピークを過ぎて少々下ると森林管理道茅ノ坂峠線の案内板があった。

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茅ノ坂峠(国土地理院の「地形図」に示された茅ノ坂峠と同じ鞍部を林道が横切る地点)に到着。林道上の最高地点よりはかなり下った位置にある。切通しの高さはかなり高い。

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下の写真は茅ノ坂峠への道と思しき山道。宮ノ入沢(「地形図」上の表示)から登ってくる山道である。鞍部の切通しがかなり深いことから「地形図」上の峠は上の写真の左側の崖の上を、少し東側に行ったところであろうか。

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再び林道に戻る。切通しである。

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お腹がすいたので遅い昼食にする。今日のメニューは711で仕入れた「おでん」である。コンビニのレジ脇にある「おでん」を眺めたことは何度もあるのだが、ついぞ買ったことはない。ところが、袋詰めで温めるだけのものを@198円で売っていたので購入。1人前としては量が多いようにも感じたが、出汁も含めて美味しく完食。

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林道茅ノ坂峠線の終点である。

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299を下る。コンニャク芋の収穫をしている畑があった。お話を伺うと2年目のもので、これから出荷するのだそうである。

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走っていると、若い人達が巡礼と分かる杖をついて歩いていたので、何となく三十一番札所観音院へ。国道から2.7kmの緩やかな上りである。さすがに、急な階段を登る気になれず仁王門前で遥拝。

下る途中、笠などの巡礼スタイルでMTBに乗った方々とすれ違う。皆さん気持ちよく挨拶されて通り過ぎていく。

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最後に以前から看板だけ見て気になっていた場所を訪問。今年のブドウで作ったワインの大部分は2年後以降に味わえるとのことであった。

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両神温泉薬師の湯@600円、タオル@200円に入る。時間帯によるのかもしれないが登山やトレランの方も多いように感じた。お風呂から上がって車に乗ったときはライトを点灯する暗さ。日が短くなったものである。

帰路は、皆野寄居バイパス(有料)を走り、昼間は見えないパチンコ店のサーチライトなどを見ながら寄居経由で帰路につく。最後に本屋さんによって自転車人(2011年秋号)を購入。

これにて久々の林道MTBツーリングは終了である。

※ カメラのレンズに小さな汚れがあってすべての写真中央上部にボケた点ができてしまた・・・orz

2011年9月18日 (日)

縄竹橋

昨晩のこと。天気予報を確認しながら「今日も明後日も仕事なので、明日は朝日に光る狭山湖でも見に行こうかなぁ」などと思っていたのだが・・・爆睡。目覚めてみれば日は高く上がっていた。

お昼近くなって車で出動。どうせのことなら上流から行ってみようということで、懐かしい道を辿りながら小作取水堰を目指す。上流に架かる多摩川橋から見た小作取水堰である。

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あたりを歩いてみる。東京都水道局羽村取水所小作取水堰管理所。水が濁っていて流れも速いので水鳥たちも開店休業という感じなのだろうか。左下の写真は小作・山口水路の「頭首工遠景」という感じだろか。右下の写真は、多摩川の水が取水口からUターンして入る沈砂池で堰を越流した水が小作・山口水路へと流れ込んでいる。

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下流に向う。それにしてもサイクリストが多い。羽村取水堰附近に到着。サイクリングの記事では定番の一つ「玉川兄弟像」である。

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下流左岸から撮影した羽村取水堰である。

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羽村取水堰の取水口である第1水門(右側)と、流量調整のための第2水門(正面)である。

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玉川上水沿いを下流に歩いていくと羽村線の頭首工ともいうべき第3水門(左側)がある。ここから玉川上水から分岐した多摩川の水は、多摩湖・狭山湖に向けて隧道を抜けていく。

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福生駅の脇を抜け国道16号線へ。北上して右折。新青梅街道を走り一休み。こちらのお店は群馬県内では行ったことがあるが東京都内では初めてである。やっぱり巨大である。屋上からは霞んでいるが富士山が見える。すき家のやきとり丼+お新香セット+コーラM(合計550円)で昼食。再び屋上から武蔵村山市総合運動場、都立野山北・六道山公園管理所方面を眺める。豊昭線の鉄塔は昔と違っている。建替えになっているようである。

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駐車場に車を停め、少々歩いて都立野山北・六道山(ろくどうやま)公園管理所に到着。中に入りパンフレットをいただく。管理所の北東にある六地蔵である。案内の標柱によれば、1897(明治30)年8月から11月にかけての赤痢の流行により亡くなった方々の供養のために建てられたもののようである。御判立(ごはんだて)を目指して北西方向に歩き出す。右側には東京都水道局のフェンスが続く。

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歩いている途中で面白い扉があった。山口南第20号扉(所沢市大字勝楽寺1154番地)である。何が面白いかといえば、南京錠が内側にかけられていることである。

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御判立に到着。六地蔵から610mである。

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狭山湖側に続く道の御判立のゲートである。正直のところ、ここでUターンしようと思って歩いて来たのだが、ゲートに取り付けてある注意書きを読むと「徒歩で立ち入ることについては、この道のみを歩いている限り問題はない。」と理解できたので少しだけ・・・と思いつつ入ってみることにする。

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歩いていると下の写真のようなコン柱?が目についた。天測点みたいな形をしているが建っている理由は憶測すらできないが、車止めの類かもしれない。

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いづれにしても静か過ぎる道で(といっても2トンダンプでも走れそうであるが・・・)、徐々に沢の中に高度を下げていく。駐車場の閉門時間が気になっているので念のため携帯で時刻を確認するが「圏外」表示である。時間的には大丈夫そうなので、「もう少し行ってみようか・・・」と何度か思いながら進むと沢床に下りてしまい、縄竹橋に到着してしまった。

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「縄竹」というと、当方は「竹縄(たかなわ・竹で編んだ縄)」を連想するのであるが、縄竹は周囲の看板等の表示から入間市大字宮寺の小字である。

縄竹橋はボックスカルバートを横に並べたような構造で、上にはコンパネが敷いてあった。上流側の様子である。向って右側が金堀沢、左側が大沢の流れであろうか。

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下流側である。

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しばらく進むと、左側に金堀沢入口の扉に施錠する旨の看板があった。行政の看板としては書いた人の意思を感じる何となくな・・・看板である。

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結局、ここまで歩いてきてしまったのでは小作・山口水路の出口まで行ってみようと思い前に進む。

小作・山口水路の出口である。大きなスピーカーというよりは拡声器が設置してある。先ほど、小作取水堰で見た水は、もう流れて行ってしまったのだろうか・・・とか思う。流速はどのくらいなのだろう。

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さいたま緑の森博物館方面には向わずにUターンである。しかし、繰り返しになるが静か過ぎるほどの道である。

御判立から赤坂谷戸に下りて沢の中を歩き駐車場へ。時間的には余裕で間に合った。

武蔵村山市総合運動場第1運動場である。その昔の「安宅総合グラウンド」の面影は感じない。周囲の景色が違いすぎるが、バックネットの向いている方向は変わっていないようである。

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もっと涼しく(寒く)なってから行こうと思っていた縄竹橋ではあったが、行けて良かったとは思うものの、季節によって印象は違うのだろうが、少なくとも夏の盛りには繰り返し行きたい場所でもないような感じである。

本日の探訪については、多摩湖のページ(http://www.geocities.jp/akutamako/)を参考にさせていただいた。感謝申し上げたい。

2011年9月11日 (日)

狭山湖

※ この記事は2011(平成23)年9月16日に、「村山砦」の記事を併せ加筆修正したものです。

今日は日中に仕事があって、夕方近くになって車で狭山湖(山口貯水池)に行ってきた。近くの有料駐車場に車を停めて歩き出す。

まずは東京都水道局「村山山口貯水池管理事務所」である。正門近くも立入禁止なので遊歩道から生垣越しに撮影。

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堰堤まで行くと湖面には雲が映っている。風がなければ鏡のように水面が静まるのかもしれない。歩いていると立入禁止区域への立入者を注意する放送が聞こえてきた。

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ところで、狭山湖の水の大部分は多摩川から導水されている。下の写真は案内板の一部を写したもの。(写真をクリックすると拡大)

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下の写真は狭山湖の大きく二つに分かれた北側の沢(北入)をズームで撮影したもの。逆光で霞んでいるが、湖面上部の中央には多摩川からの導水路の流入口が見える。上の写真の一般平面図によれば小作堰(最大取水量5立米/秒)で多摩川から取水された水は、小作・山口線(φ3,800mm・延長8,455m)を通り狭山湖に到達している。下の写真の丘陵上部の中央には送電線の鉄塔が見えるが、おそらく「さいたま緑の森博物館」内の豊昭(ほうしょう)線の19号鉄塔であろうか。

この沢を遡ると縄竹橋で金堀沢と大沢に分岐するようであるが、何分立入禁止区域のようなので詳細は分からないが、さいたま緑の森博物館から狭山湖右岸側の「御判立(ごはんだて)」までなら歩くことができるとしているHPもある。

当ブログの縄竹橋探訪記事:縄竹橋⇒
http://yomotan.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-2188.html

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一方、大きく二つに分かれた南側の沢(南入)には、多摩川の羽村堰(最大取水量17.2立米/秒)で取水された水が、羽村線(φ2,900mm・延長8,329m)及び山口引入水路(φ2,900mm・延長523m)で流入しているようであるが、当方は先日まで羽村線は多摩湖にのみ導水しているものと思い込んでいた。

当ブログの従前記事:狭山湖・多摩湖 ⇒
http://yomotan.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-f3dc.html

東京都水道局が作成した日本水道協会の 参考資料 を読んでみると、山口引入水路は1932(昭和7)年5月に完成し、以後50年を越える年月を経て大規模改修工事に着手され、1987(昭和62)年4月にφ2,900mmのU型ダクタイル鋳鉄管(公称管厚30mm)を既存隧道の中に布設して隙間をモルタルで埋めるというパイプ・イン・トンネル工法の工事が完成したようである。その資料によれば延長は460.0mとなっており、案内板と距離が異なるが暗渠部分だけの延長なのだろうと思う。ちなみに羽村線の完成は1923(大正12)年7月である。

さて、狭山湖周辺の丘陵地は35年くらい前には何度も訪れたことがあるのだが、調べてみると現在は「さいたま緑の森博物館」と「都立野山北・六道山公園」が地続きになっていること、その昔、忘年会などでお世話になった「村山砦」の跡地が野山北・六道山公園の管理所のあたりであることなどが分かった。

この記事にいただいたコメントをきっかけにガソゴソと地図の山を調べてみた。

1969(昭和44)年測量の地図を発見。現在の武蔵村山市。当時は東京都北多摩郡村山町である。村山町が市制施行により武蔵村山市となるのは1970(昭和45)年11月3日のことなので理屈にあっている。

地図の東中央には「村山砦」(跡地は都立野山北・六道山公園インフォメーションセンター(管理所)・実際の表記は誤植で「村上砦」)があり、また西中央には「安宅総合グラウンド」(現在は武蔵村山市総合運動場第一運動場)がある。加えて西端には豊昭線の送電線や鉄塔が見える。

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もう一つ、地図上で面白かったのは、東京都水道局猟場である。狭山湖(山口貯水池)の南側の大きな沢(南入)の奥に、建物や池があって「東京都水道局猟場」と表示されている。

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この場所については、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで1974年撮影の空中写真を見ると様子が良く分かる。多摩湖(上)への導水路(羽村線)から分岐し狭山湖に向う「山口引入水路」の普段は見られない狭山湖水面下の様子も分かる。
参考URL:http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1011971&isDetail=true

この空中写真と同時に撮影されたと思われる数葉の写真を見ると、狭山湖の北側の大きな沢(北入)で導水路の工事をしている様子が写っているし、湖底に沈んだ田畑や畦道がうっすらと見える・・・。

車に戻って、狭山湖の北岸を通って、さいたま緑の森博物館方面に向うが午後4時から自動車通行止めとのことで通行をあきらめ狭山丘陵北側に下りる。

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早稲田大学所沢キャンパスの脇を下り県道に出て、さいたま緑の森博物館に行ってみた。

さいたま緑の森博物館は、どんな施設なのか分からなかったのだが、行ってみて埼玉県営の施設で、丘陵地の自然そのものを展示内容とする博物館であって、指定管理者が管理していることがわかった。

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ヤブカ、スズメバチ、マムシの類は遠慮したいので、もう少し涼しく(寒く?)なったら、立入が許される範囲で、狭山湖の周辺を探訪してみようと思うのだが・・・。

※ 2011(平成23)年9月19日追記
狭山湖(山口貯水池)の工事に関しては、「土木学会附属土木図書館>デジタルアーカイブス>戦前図書・雑誌コレクション>土木建築工事画報>第8巻(1932(昭和7)年)10月号>山口貯水池工事に就て(東京市水道局拡張課長 小野基樹著)」に詳しい。 http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/08-10/08-10-1700.pdf

2011年7月24日 (日)

双体道祖神

今日は、仕事の予定もない日なのでロードバイクで走りに出かけた。一時の猛暑に比べれば涼しいが、さすがに昨日よりは暑い。

まずはヤマユリが群生している場所を通過。草の丈がヤマユリといい勝負である。続いて都幾川の玉川橋下流の堰に立ち寄る。勢いよく水が流れている。大きなカワウがいたので堰の下には魚がいるんだろうなぁ・・・と思う。

堰を後にして、バーベキューでにぎわう嵐山の槻川橋を渡って北上し、杉山城址や越畑城址を右手に見ながら進む。どちらの城址も夏草が生い茂っているのだろうか。しばらく進むと田んぼの中の用水池に黄色い蓮が咲いていた。珍しい色だと思う。

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耕地整理がされた田んぼの中に「⇒旧鎌倉街道跡」の標柱があったが通過。旧道を訪ねるのは、場所にもよるが冬場が良いような気がする。

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里山の谷(やつ)を走る。休耕田の草刈りをしていた農家のオヤジさんと話をする。大規模な道路工事の計画があるとか・・・、渦巻状に草を刈っていくと最後に刈り残した部分にヘビや虫が集まるとか・・・。

閑話休題。寄居町大字牟礼(むれい)の双体道祖神に到着。到着といってもココを目的地として来たわけではなく、たまたま目に入ったのである。地名については「むれ」と読むのだと思っていた。今までの記憶では、というか行ったことがある、三鷹市の牟礼は「むれ」、長野県の旧牟礼村も「むれ」だったので、寄居町の地名も「むれ」だと思い込んでいたのであったが、今日調べてみて驚いた次第。

寄居町教育委員会の設置した案内板によれば、「この道祖神は、高さ54センチ、幅28センチの男女2体の石像であり、明和2酉年(1765)9月吉日と彫られている。彫られているのは、男女が肩を組み、手をつないでいる、ほほえましいもので、埼玉県内では珍しいものである。(中略) この道祖神は、病気回復、子孫繁栄、良縁縁結、旅行安全などの信仰の対象となっていたと考えられ、長く地元の人達に大切に守られてきた石仏である。(原文縦書)」とのことである。

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先に進む。お腹がすいてきたので、久々に五郎作に寄る。前回はフライだけで物足りなかったので、焼きそばとフライ(各300円)の両方を食べることにした。今回は満腹である。

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ところが、お店を出たところで事件発生。Forerunner310XTが突如、何かのエラーメッセージを出して(実は老眼で読めなかったのだが)、液晶表示が消えてしまった。電池切れか? 通常ならスイッチをいじったりするのだが、データが消えてしまいそうな気がしたので、今回は分からないのでそのままにして諦める。

あたりをウロウロしながら、陣見山に行こうか、釜伏山に行こうか・・・などとは思ってもおらず、実は東秩父経由で帰ろうと思っていたのだが、ちょびっと戦意喪失気味なので小川町方面に進むことにする。

小川町に近づくと迂回指示の標識が目立つようになり、七夕であったことに気付く。街中(まちなか)に近づくと車両進入禁止となっており、警察官に聞くと、自転車から降りて押して歩くように指示される。素直に従うというか、中心部では自転車を押しているだけでも迷惑をかけそうな感じのする人出であった。

実は、小川町の七夕を見たのは生まれて初めてである。というか、いわゆる「お祭り」としての「七夕祭り」はテゴマスの歌が記憶にあるだけで、見た記憶がないのである。のんびりした風情で歩いていれば楽しいのかもしれないが、SPD-SLにレーパン姿では、少々浮いている自分を感じてしまい、早々に通過させていただいた。

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下里方面に向かう。「国指定重要文化財 六角石塔婆」の文字が目に入ったので、初めて大聖寺に行ってみる。少々激坂であったが到着。六角石塔婆は写真の建物(法華院)の中にあるようなのだが、あたりにお寺の方もおられなかったので別の機会に譲ることとして諦めて下山。

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下里内を走る。新たに石の燈籠を2箇所で発見。一つは確実に大山燈籠である。旧下里分校は分校が正式に廃校になってしまい管理方法が変わったらしく、大きな看板が設置されていた。アイガモ君はバチャバチャと音はすれども姿は見えずであった。

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結構、暑くなってきたがゆっくり走って帰宅。そして再びForerunner310XTがらみの事件発生である。マウントからはずすときに、リストバンドの末端が切れてしまったのである。

どうしたものか。

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なお、Forerunner310XTのデータは、走り始めから五郎作を出たところまでの分は、ちゃんと残っていた。電池は半分以上残っていたし、何だったんだろう。

2011年7月23日 (土)

爽快ポタ

今日は変則的な日程で朝と夕方に用事があるパターンであった。台風6号通過後涼しい日が続いていて、台風のときは雨音で目覚めたのが、この頃は涼しさ(寒さ)で目覚める感じである。そうは言っても夏は夏。また暑くなるんだろうなぁと思う。

ということで、今日は爽快ポタに出発。目的地は西武池袋線の武蔵横手駅脇から関ノ入線を走って涼感を味わおうという超ゆる~い、文字通りの爽快ポタである。

城西大学南側の多和目橋の工事以降近づいたことがなかったので寄ってみたが、再び工事中であった。歩行者や自転車は通れそうである・・・。

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続いては、涼感を求めて加藤牧場へ。前回自転車で訪れたときは2年位前で、開店前に到着してしまったのであったが、今日は「小倉アイス@280円」食べることができた。美味しかった。

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西に向かう。奥多摩の大岳の左には富士山がうっすらと見えた。高麗川駅に到着。その昔は蒸気機関車の転車台があったのを憶えている。蒸気機関車の思い出は数多い。

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高麗川を渡る。鹿台橋下流の堰の右岸側に設けられた魚道は親子連れのかっこうの遊び場のようであった。

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関ノ入線を走る。ハイカーの方たちと挨拶を交わしたり、立ち止まって話をしながらゆったりと登る。非常に涼しくて気分が良い。

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水量も豊富な五常の滝に到着。何度か来たことはあるのだろうが記憶がない。少なくとも数十年間は来ていないのは確実である。

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五常の滝上部の切通しで中野線の看板(登って来た方向を振り返って撮影)を発見。今まで気付いたことはなかったのだが、おそらく中野線の終点を示す看板で、左下の舗装境界の下流側が関ノ入線、上流側(手前)が中野線である。

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権現堂線を下って鎌北湖に到着。台風での雨の影響か水の色がいつもと違う。

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帰路に着く。

最後に、今日撮影した西上武幹線関連の写真をまとめておきたい。上の2枚は多和目橋南方で撮影したもので、仮囲いの中では基礎工事まで終わって工事が中断している。左下は権現堂線を下りながら撮影したもので鉄塔は完成しているようである。右下は鎌北湖からの県道を下っている途中に撮影したもので、Mt.ライナーにはブルーシートがかけられ、レールは錆びて草に覆われている。

ということで、「当面、工事を一時中断」という状況である。

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2011年7月18日 (月)

1週間経過

この3連休は暑かった。断続的に仕事が入っていて余裕もなく、加えて余りの暑さに自転車には乗らず。

さて、今日は水の出ていない寄居町大字用土の比例円筒分水堰を訪問してから1週間が経過し、もしかすると水が出ているかもしれないのでリベンジしてみることにした。

まずは昼食。時々ブログでお見かけするお店で、食数限定の「玄米と野菜の日替わりランチ」@1,050円を食べる。ランチの飲み物として選べるカモミール&ラベンダーのハーブティーを飲んでみた。当方にとっては慣れていないメニューではあったが美味しかった。

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探訪モードで進む。何年間か継続して訪れている「フセギ」の場所なのであるが初めてワラジが吊るしてあるのを見た。ワラジとしては並みの大きさである。

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続いて用土村道路元標である。今まで何度も自転車で通過したことがある場所なのであるが、道路元標の存在に気付いたのは今日が初めてであった。

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いよいよ比例円筒分水堰近くに到着。歩いて行く。

むむっ? 水の音が聞こえるぜ w(゚o゚)w 歩くスピードが速くなる。

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水が「噴き」あがるというのが妥当な表現。やったぜリベンジ。

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今日は月曜日。テレビ番組の夜8時の定番であった水戸黄門も第43部の今シリーズで打ち切りが決定してしまったようであるが、時間帯が同じNHKの「大科学実験」という番組も超面白そう。

2011年7月10日 (日)

比例円筒分水堰

昨日7月9日、関東地方の梅雨が明けた。雲のない夜空を見上げると大三角形が見えて、いよいよ夏が来た感じがした。空気の澄んだ涼しい高原などで夜空を見上げたらよりクッキリとキレイに見えそうである。

一方、梅雨明けと聞いただけで昼間の暑さも余計に暑く感じるから不思議なものである。ちなみに今日の寄居アメダスの最高気温は36.4度である。

さて、寄居町大字用土の比例円筒分水堰は、北武蔵用水の施設の一つとして本年(2011(平成23)年)2月4日にロードバイクで探訪した。当日の記事はこちら。そのときから、通水されているときに訪れてみたいと思っていたのだが、昨日のtomochanさんのブログ記事に分水堰から用水が湧き?出している写真が掲載されていたので、急遽、買物を兼ねて見にいくことにした。ということで車である。

途中、牛乳のタンクローリーに映った雲がいかにも夏を感じさせる(撮影は助手席から)。

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確かに雲が夏らしい。

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順調に比例円筒分水堰に到着。

ガッガッ~~ン ○| ̄|_ 1日遅かったようである。

中央部の水の湧き出す円筒部分が水に洗われてきれいになっているのが何とも言えず。

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気分を変えて寄り道。花はきれいに咲いているしパンも美味しそうである。

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さてさて、買物の目的は扇風機だったのだが、どこに行っても気に入ったのがないというか、ほとんど売り切れ状態で、あきらめて帰宅 orz

その翌週の水が噴き上げている光景はこちらの記事でどうぞ。

2011年7月 6日 (水)

大滝村誌

先月(2011(平成23)年6月)29日に販売が開始された大滝村誌(上巻・下巻・資料編写真集)を購入した。発行は大滝村、秩父市、吉田町及び荒川村の合併により新たに誕生した秩父市である。

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購入した主な目的は、大滝村誌の中の「武州中津川森林鉄道」及び「中津川林道」に関する記述を読んだり、写真を見たかったからである。

今まで西裕之「全国森林鉄道」(JTBパブリッシング・2001(平成13)年)を読んだり、中津川にある埼玉県森林科学館で調べてみたり、あるいは自転車や徒歩で現地を探訪してきたが、大滝村誌を読んで、今まで調べた事柄が新たに頭の中でつながって行くのが面白かった。加えて写真も印象的であった。なお、公の出版物ではあるが発行間もないものなので内容の引用等は控えることとしたい。

「市町村誌」は、その地に生まれ育った、あるいは暮らした方々が読むのと、遠隔の地から時々訪れる者が読むのでは理解の仕方や思い入れが全く違うように思うが、大滝村誌の例言やあとがきを読むと、調査・執筆にとりかかってから村が閉村となった編集者の思いも伝わってくる。

より以前の記事一覧